ペイパーチェイス(白水社)

  • 2014.08.01 Friday
  • 09:02

書評シリーズ第2弾です。紀伊國屋書店の「書評空間 」の継続バージョンと思って書きました。書評空間では「書店で買えるもの」しか対象にできなかったのですが、「打ち出の小槌」でその制約はありません! ちょっと古いが、面白い本です。中古品はア●ゾンに多数出品されており、簡単に手に入ります。
 

今まで書き溜めてきたものと同じ「である調」なので少々雰囲気が異なりますが、ご寛容下さい。
 



ナイジェル・ルイス『ペイパーチェイス』(中野圭二訳、白水社、1986
 


集団的自衛権行使に関する話題が巷を騒がせている。「戦争になっても自らは何もできず、同盟国の支援を期待する」という状況は問題だとしても、「戦争に巻き込まれないための抑止力である」という政府の説明を100%信じている人はあまり多くなさそうだ。「ひとたび戦争になったが最後、歯止めははずれるに違いない」という心配の方がずっと大きいように感じる。

 

私自身も戦争は体験していないが、ヨーロッパで生活していた頃に勃発した湾岸戦争の影響、旧ユーゴスラヴィアをめぐる戦渦、そしてベルリンの壁の崩壊によって象徴される東西の対立の消滅によって引き起こされたさまざまな変化は、身を以て体験した。私が住んでいたウィーン(オーストリア)はユーゴスラヴィアと国境を接しており、東側諸国の人々が西側に流入する際の代表的な入口のひとつだったのだ。

 

戦争は無秩序をもたらす。第二次世界大戦の際に他国を蹂躙しようとした国々の横暴は、我が国の行為も含め、身勝手そのものだったと言えるだろう。またヒトラー率いるドイツがヨーロッパの列国を次々と占領し、略奪した至宝や文化遺産の数は計り知れない。そのドイツも劣勢になってからは各地が空爆されるようになり、その戦渦から守るため、多くの資料や文化遺産が各地に疎開された。本書はそうした希有な運命に翻弄された文化遺産をめぐるノンフィクションだ。話は過去のモーツァルトやベートーヴェンその他の大作曲家たちの貴重な自筆譜を軸に展開される。ベルリンからポーランドに移動された、「グリュッサウの楽譜」というキーワードで呼ばれるコレクションである。そこにはモーツァルトのオペラ『魔笛』やベートーヴェンの『第九交響曲』の楽譜も含まれていた。

 

戦争の最中に木箱に詰められて搬出された品々は、その量もさることながら、何がどこに移動された、というリストさえもが不充分な場合が多い。保管場所も人里離れた城の中や修道院の祭壇の裏など、なるべく人目につきにくいところが選ばれた。疎開先が戦災に遭い、焼失してしまったものも数知れないが、疎開場所情報の伝承が曖昧なために探索できなくなってしまったものも数多い。個人が違法に秘匿したものも多々あるだろう。

 

こうしたかけがえのない、金銭には換算できないような文化遺産の所有権が最終的にどの国にあるのか、誰がどのような権限でそれらを管理するのか、所在は明らかになっても、それが果たして公開されるのかということは、戦後処理をめぐる複雑な政治状況の下、解決の糸口がつかめない膠着状態に陥ってしまうケースが散見された。これらを調査し、発見、そして公開へと至る道のりは険しかった。その経緯は本書に詳しいが、話はなかなか思うように展開せず、じらされる。しかしそれが戦後の現実であり、実態だったのだ。

 

第二次世界大戦後の世界は「西側」と「東側」に分断された。このふたつの陣営の力比べだった「冷戦」はすでに過去のものとなり、一世を風靡したジェームス・ボンドの「007シリーズ」の映画も色褪せてしまった。今の学生たちにはとっては、共産圏の象徴だった「ソ連の存在」そのものが、すでに実感できないものになってしまったようだ。ましてや「東側へ入国する際の国境の陰鬱さ」「東側諸国の貧しさ」などは、紙の上での絵空事となりつつある。これは当時「東欧諸国」と呼ばれていた国々で生まれた若者でも同様だ。「両親からそういう話を聞きました」という世代が増えている。今の若者にとっては臨場感に乏しい本かも知れないが、「昭和生まれ」の世代にとっては、当時の社会情勢を回顧できる貴重なドキュメンタリーだろう。

旧東ドイツへの国境(1980年代。かやにかパパ撮影)


東西の対立が消滅して「東側」が開かれた今、失われた文化遺産の状況はどのように変化したのだろう。その後「再発見」された資料も数多く出現している。それでもまだ見つからないまま、どこかに秘匿され続けているものも、あるいは誰も気づかないまま埋もれてしまっているものも、まだまだ存在しているに違いない…。



 

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