先月、中高時代の仲間5名が集まって、都内でウォーキングを楽しみました。
集合は京王線柴崎駅北口。とりあえずのゴールは中央線の武蔵小金井駅です。
距離にして12km程度、歩数に換算すると2万歩超となります。
「野川」の川沿いを歩き(土の上と草の上なのでフカフカして快適!)、
ついでに小金井市の滄浪泉園も訪問しました。
天候は快適。暑からず寒からず、晴れていましたが日差しは柔らかでした。
のどかな道をトコトコ歩きました。
都心から1時間かからない距離なのに、こんな場所があるんですよ。
私が通った中高は男子校でした。
普通校で、先日卒業50周年を祝ったばかりです。
平たく言えば「退職後にひまこいてるお爺さんの集まり」ということ。
「そろそろ健康には気をつけないとなあ」と心の底から実感する世代です。
「歩く」は健康維持のための基本。
みな普段から鍛えているようで、健脚です。
体調に多少の問題を抱えていようとも、トコトコ無心に歩きます。
ポール(杖ではないっ)を使うとすごく楽です。
そんな中、私はウォーキングの初心者。
一気に10キロ以上歩いた記憶は、もうはるか昔のこととなりました。
しばしば腰を痛めるので「何とかしなければ」と自己流にトレーニングしても
つい頑張りすぎて逆効果。一旦筋肉を痛めると、その後が続きません。
いかん!
と痛感し、以前筋トレでお世話になったトレーナーのところに駆け込み、
心機一転、少しずつですが身体のためになる運動を再開する決心を。
以前とは違うメニューを組んでもらい、中心はストレッチ。
その一環として歩くことにも挑戦し、できれば習慣づけたい、と思っているのです。
実は一度こっそりネットで見つけた「インターバルウォーキング」なるものも試してみました。
3分間懸命に歩き、その後3分間ダラダラ歩き──このセットを5回こなします。
全部やってもたった30分ですが、やっぱり初回に頑張りすぎ、
しばらくお休みを余儀なくされるはめに…。
その代替としてHIIT(High-Intensity Interval Training)を推奨してもらいました。
タバタ式トレーニング(←本気でやるとマジきつい、本来上級者向けのやつ)に似ていますが、
強度を自由にアレンジできる運動です。
要するに「高負荷」と「低負荷」の運動を繰り返すこと。
心拍数がめっちゃあがります。
並行して勧められたのは、ビタミンB、C、プロテイン、ココナッツ由来のMCTオイルなどの摂取。
でも、サプリメントってはまっちゃうとお金がかかる。
年金生活者には「ひかえめ」がモットーです。
とりあえず、甘いものは少し我慢。糖質よりも蛋白質優先。
でも極端な糖質カットはしません。
──などなど、楽しみながら少しずつ試行錯誤しています。
* * * * * * * * * *
そんな中で参加した久しぶりの長距離ウォーク、挫折せずに完遂できました。
翌日、翌々日も極度の筋肉痛に襲われることなく、無事でした。
歩くことが表向きの目的だったのですが、お約束は「事後の反省会」。
じつはこれが、すごく素敵な会なのです。
一緒に歩いた仲間たち、現役の頃は立派な業績を築きあげてきた人たちです。
そんな友人たちとの気楽な会話は、とても刺激的。
「へ〜」「そうなんだ」「そうだったのか」という興奮が次々と押し寄せてきます。
たとえば今東京ではどんどん都市開発が行われ、次々と高層ビルが建てられています。
働き方も変わり、人口も減少傾向にあるのに、なぜこんなにオフィススペースが必要なのか、と不審に思われるぐらい、開発の勢いが止まりません。
その結果、都心の一等地なのにテナントも思うように集らず、
閑散としている商用フロアも散見されます。
「どこかが不自然、歯止めがきいていない」と思う人もいるし、
「経済のことを考えるとこれもあり」という意見もあり、
そういった意見が渾然と林立していることが、
今日本がすっきり前進できないひとつの要因になっているのかも。
首都直下型の地震、あるいはそれに類するような大地震は近い将来必ず来るでしょう。
それは明日かもしれません。
地震の規模にもよりますが、建造物への壊滅的な被害は避けられません。
そんな時のために、大震災にも耐えうる基準の建物を今のうちに作っておかなければ、
古い建物が崩れてしまったときにどうしようもなくなるだろうことは想像できます。
何が、どういう方向に進むのが正しいのかはわかりません。
そんなさまざまな見方があることに気づかせてくれる友人たちの存在は、私にとっての宝物です。
私自身は音楽の道に進みましたが、なまじ音楽のみにとらわれず、
音楽以外のジャンルの友人をたくさん持てて良かったな、と
心の底から嬉しく思う今日この頃。
老後の雑談に花が咲く、という感じです〜。
そんなことを居酒屋でワイワイ語れる日本ってつくづく平和だな、と思います。
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今年の5月28日に東京で開催したファイナルリサイタルのビデオディスクが完成間近です。
試聴サイトも準備しました。
音源と映像の編集は完了したので、これからジャケットのデザインにはいります。
ディスクは基本ブルーレイですが、DVDも準備します。
発売は年末。11月〜12月ごろになると思います。
テレビで見る場合はブルーレイディスクの方が画質がずっときれいです。
ただし、古〜いテレビやプレイヤーの場合は要確認。
パソコンで見る場合はDVDの方が便利です。
音質はどちらもほぼ同じです。
その差は聴いただけではわかりません。
ここまで事が運んだので、ディスクの先行予約の案内葉書を準備しました。
かなりの量になりましたが、午前中印刷、午後から住所ラベル貼り。
何とか1日で作業を完遂できました!
以下が案内の文面です。
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ビデオディスクが完成しました!
今年5月28日に東京で開催したファイナルピアノリサイタルのブルーレイディスクです。アンコール曲も含めたすべてを収録。私にとっても人生の軌跡を記録する大切な1枚となりました。
年末から販売を開始しますが、先行してご予約いただければ嬉しく思います。
価格は10月31日までの先行予約特価(送料込み)で¥4,600(定価¥4,800+送料)です。
ブルーレイ(高画質なのでおすすめ)では視聴できないお客さまにはDVDディスク(¥3,800)を準備いたしますので、ご予約の際にご指定ください。
お名前、御住所、連絡先、そして枚数を以下までお知らせください。お支払いは商品到着後。振込口座情報は商品に添えてお送りします。
メール:imai■atwien.com ←クリックするとメール画面が出るはずです!
24時間対応ファックス:03-3951-0846
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私の生涯最後のソロアルバムです。
ご注文を心からお待ちしています。
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早いもので
これを最終回にしよう
と意を決して開催したリサイタルから3ヶ月が過ぎました。
あの時はまだ夏前だったのに、もう秋が訪れようとしています。
コンサート評が音楽月刊誌に掲載されました。
奥がはな、右がだい
全文引用は著作権違反なのかも。
出典を明示しますので、どうかお許し下さい。
長らくウィーンを拠点とし、世界を見渡してもウィーンの香りを表現できる数少ないピアニストの一人である今井が、今回をもってステージから去るという。技量はあり、今井の演奏で聴きたい曲はたくさんあり、これで最後とは残念至極。しかし本人の意志は固く、「長く居たからこそ表現できるウィーン独特の響き。自信を持ってお聴かせできる曲」というピアノ・ソナタを2曲。「幻想」のタイトルを持つ「第18番」では、開始からドイツ語の香り。それもドイツ人ではなくオーストリア人の発音で、第1楽章のカンタービレの美しいこと。続くアンダンテもメヌエットも、これぞ!というリズムとテンポ。ドイツ語圏ならではの“幻想”の世界に酔い、終楽章は次の曲へのバトンのよう。そして最後の「第21番」。脱力の力学からの豊かな響きには、研磨蓄積されてきた音楽哲学。と同時に進行する音列では、ときおり少年の純粋さ。深くとられたフレーズや(?)、歌曲を思わせる旋律(?)、スケルツォにはウィーン人のユーモアがあり(?)、最後は軽快に駆け抜ける(?)。今井の10指の独立性は見事なもので、シューベルトの天才ぶりを遺憾なく弾き示した。別れの淋しさより、ただただDanke!である。(上田弘子、音楽の友9月号、演奏会批評 p.7、音楽之友社、2023)
今井顕の最後のリサイタルは、自身の編曲による《G線上のアリア》で、光挿すように爽やかな響きで幕を明けた。メインは、今井がこれまで大切に弾き続けてきたシューベルトの2つのソナタである。前半は《第18番「幻想」》。柔らかに響く第1楽章の和声は繊細な変化を聴かせつつも、徒(いたずら)に感傷的になることはなく、その清々しさが逆説的に聴くものの心を打つ。第2楽章は旋律の大らかな歌唱性が際立ち、主題は戻るたびに仄かな明るさを宿した。和音の重さ・軽さの妙が冴える第3楽章は、中間部の幻想的かつ清朗な響きも印象深かった。歌と踊りのチャーミングな性格を持つ第4楽章は、転調に伴う緊張感や、声部の増幅がもたらす複雑な響きも聴かせた。
後半は《第21番》。シューベルトの最後のソナタということもあり、第1楽章は重々しい演奏も多々聴かれるが、今井は跳躍がもたらすエネルギーや、フレーズ感の間合いこそ重視するが、決して抑圧的でシリアスな音楽にはせず、自然かつ優美な表情を持たせた。今井の音楽は時に微笑み、時に真顔となり、感情の沸点と諦念とが同時に訪れるような多義的瞬間もあった。第2楽章の重々しい足取りのリズムも、エレガントな暗さを帯びるが重すぎない。終楽章はダイナミクスの変化が推進力を漲らせ、やはり主題は顔を出すたびに自由さと軽やかさが増す。一方で短調の和音はただならぬ気迫を帯びた。Prestoのコーダの勢いと眩い響きは、一人の芸術家の最高に輝かしく、華々しく、気品ある締めくくりそのものであった。(飯田有抄、ムジカノーヴァ8月号 p.62、音楽之友社、2023)
ひとつ目の上田さんが書いてくださった批評のなかに
開始からドイツ語の香り。それもドイツ人ではなくオーストリア人の発音で…
というくだりがあります。
実は私がデビューして間もない頃(1982年ですから40年前のことです)、故藤田晴子先生に
「ドイツ語の発音」の演奏
というタイトルの批評をいただいたことを思い出しました。
当時私は28歳。
ウィーン国立音大で恩師スコダのアシスタントとして教鞭を執り始めたころでした。
その頃はこれがどういう意味なのか本心よくわかりませんでした。
「そうか、これ、ほめてもらったんだよな」という感じ。
またその頃の私は
ウィーン風
と評されることに人知れぬ違和感と反発を感じていたのです。
今になってみればすなおに「これ、ほめ言葉だよな」と納得できるのですが、
当時は「ウィーン風」と言われると、何となく軽んじられているように思っていました。
ウィーン風とは:
おしゃれではあるが表面的で薄っぺらい、ちょっといいかげんで詰めが甘い
その時点でウィーンとのつきあいは10年以上になっており、
いつわらない実感でした。
しかし謙虚になってみれば、私は自分の半生をかけてこうした
現地の感覚
での音楽を目指していたことになります。
そして今では
「ドイツ語」「ウィーンなまり」
といわれることに誇りとプライドを感じられるようになりました。
演奏の世界では「個性」の問題が取り沙汰されることが少なくありません。
私自身が考える個性は、その人の
しゃべり方
なのだと思います。
声の高さ、大きさ、速さ、男女差、そしてしゃべり方。
しゃべり方とは、単純には「方言」「お国言葉」のことです。
日本語は日本語でも、地方によって抑揚が違います。
これがかけがえのない魅力。すばらしいチャームポイントじゃないですか。
でもしゃべり方教室ではNHKのアナウンサーのような発声・発音が求められ、
音楽の学習現場もこうした「平均的な」表現にかたよりがちです。
わかりやすいけれど、没個性的。皆と同じ。もったいないです。
先日のリサイタルは
今までで一番「自分のことば」で表現できた
と納得できたので、晴れて公開演奏から卒業できたのかも知れません。
めでたし。嬉しいです。
追伸:ファイナルリサイタルのDVD編集が完了しました!
発売予定などの詳細はまた改めて。もうしばらくかかりそうです。
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■はじめに
2023年5月28日、自分で「これが最後」と決めた演奏会が完了しました。
今まで長きにわたり私の演奏活動を応援、そして御支援くださった皆様、
ほんとうにどうもありがとうございました。
あらためて心から御礼申し上げます。
会場はほぼ満席でした。
今の私は「やりきった」という気持ちで満たされています。
チャレンジしてよかったです。
ファイナル、と決めたことも後悔していません。
せっかくなのでコンサートはDVDとして残しておこうと思い、
その準備としての音源チェックを済ませたところです。
終演後3週間たって、ようやく自分の演奏をふりかえる気持ちになれました。
「何でもっと落ち着いて弾けなかったんか、ボケー」
「こんなところでやらかすなんて、トーシロー同然じゃん」
など、いろいろ反省するとことはありますが、
すなおに「今、これ以上の演奏はできないな」とも感じています。
「へ〜、この程度の演奏でもう限界なんですか」
と言われれば、返せる言葉はありません。
「せっかくここまで来たのだから、これからが正念場。楽ではない。厳しいからこそ芸術なのだ。これから、という時にそこから逃げるのか、がっかりしたよ」
といった感想もありそうに思います。
■最終回に至る軌跡
今回の「ファイナル」をやってみるまで、
終演後の自分の気持ちがどうなるかまったく予測できませんでした。
アスリートの世界に置き換えればわかりやすいと思います。
「この大会を最後に、引退します!」
と宣言して最後の闘いに挑むとします。
実力、実績としてはメダル圏内、表彰台に上がれる公算が大きくても、
運に見はなされて予選落ちするかも知れません。
私が今感じている「やりきった」という思いを手にできるか、
「残念、もう一度チャレンジして自分にできる限界に再挑戦してみたい」
と感じるのかは、結果次第です。
そしてその結果は天から与えられるもので、
自分の思い通りにコントロールできるものではありません。
- - - -
私が音楽家として成長してきた経緯と環境はそれこそ「尋常ではない」もので、
節々では大きなチャンスにも恵まれてきました。
そのきっかけをつくり、その後の自立まで私を支えてくれた両親には感謝しています。
昨今の演奏家としての資質として、
「人並み以上に卓越した運動能力」
が必要不可欠な要素となりました。
私は要領だけは良かったものの、ピアニスト(≒アスリート)としては、
のび太ほどではないにしても、鉄棒の逆上がりもできないどんくさい子供でした。
その後指導者に恵まれ、運にも恵まれ、周囲から見ればまたとない教育を享受してきましたが、
こと「指の敏捷さと器用さ」においては、いまだに底知れぬ劣等感を持っているのです…。
もちろん「究極のフィンガーテクニックと音楽表現」が指の速度だけではないのは重々承知していますが、運動能力不足が私の拭い去れないコンプレックスであることは隠しようもありません。
「ピアニスト≒アスリート」の視点からは、私にも「晴れの大会での予選落ち」の可能性はあったものの、今回は嬉しいことに表彰台に登れたようです。
金メダルではありませんでしたが、銀メダルぐらいでしょうか。
もっとできたかも知れないが、チャレンジして良かった。
今の自分にできることはやりつくした
という感じです。
これをもって演奏活動から引退するにあたり、未練と後悔は微塵もありません。
私を含めて演奏家は、コンサート終了後になってほぼ例外なく
「あそこはもう少し念入りに仕上げておくべきだった」
「もう少し練習時間があったらよかったのに」
と悔やむものですが、今回だけは
「事前にやるべきことはやりつくした」
という心境でステージに立つことができました。
スポーツ界で言うところの「ゾーン」にこそ入れなかったものの、
あがる、(悪い意味での)緊張する、というメンタルの呪縛はほとんど感じずに、
自分を見つめながら演奏できたと思っています。
■家族のこと
私が社会人として自立してからの演奏活動を支えてくれた最大のサポーターは私の妻です。
彼女自身もウィーンでピアノを極めた音楽家ですが、
結婚以来、夫である私のサポートに専念してくれました。
私にとっては一番辛辣な批評家で、ソロリサイタルの期日が近づいてくると彼女の前で一通り通し演奏をする(させていただく)のが、避けることのできない儀式のひとつでした。
夫の演奏をほめるなどは想定外、私にとっては「正座して耐えなければならない」ような苦行で、
いつも心にグサグサ刺さるようなことしか言ってもらえません。
そういった指摘のひとつに「音がきたない」というコメントがありました。
温厚な聴衆の方々には
「今井先生の音はとてもきれいで、そこが大好きです」
と言っていただくことが多かったので、自分も何となくその気になっていたのですが、
面と向かって「あんたの音はきたない、中でもフォルテは最悪」などと言われると、
気心の知れている相手とは言え、正直ムカつきます。
以前は
「うっせーな、世の中にもっと粗い音のピアニストはごまんといるさ、ほっといてくれ」
と、妻からのグサグサの真意を直視することなく、なかば逃避していました。
しかし最終回と決めた今回ばかりはその指摘に正面から向き合い、
自分の音と演奏をシビアに、客観的に評価してみたのです。
具体的には「自分の演奏を録音し、それに真摯に耳を傾ける」ということ。
「自分が自分にとって一番厳しい教師になる」わけです。
もちろんこれまでもその方向で自分の演奏は磨いてきたつもりでしたが、さらに徹底的に。
私情を極力排除して自分の演奏を聴いたところ、原因が明らかになりました。
妻の言い分に間違いはなかったのです。
詳細は省略しますが、欠けていた要素に気づきました。
生徒たちには日常のレッスンで口を酸っぱくして言い続けてきた課題ですが、
それを言った本人(=私)は安易に「できているつもり、やっているつもり」だけで、
自分を甘やかしていたことに気づけたのです。
今回のプログラムは4月23日に宇都宮、5月19日に大阪、そして5月28日が東京での公演だったのですが、回を追うにしたがって自分の演奏が劇的に変化していきました。
初回の宇都宮での場を与えて下さった須賀先生、ごめんなさい。
でも決して手を抜いたのではなく、あれはあれで精一杯の演奏だったのです。
そして、今回「きたない音」に関する妻からのクレームはありませんでした。
めでたし、めでたし。
■「聴く」能力
木で鼻をくくるような表現かも知れませんが
「美しい音を出すための演奏テクニックはない」
というのが、今回の私の学びでした。
いやいやご心配なく、実際のノウハウは存在しますし、巷で開講されている
「こうすれば美しい音で演奏できます」という講座は、すべて嘘ではありません。
でも、キモは「自分の耳で聴き分けられるか」にある、と思うに至りました。
これなしでは、すべてが机上の空論に過ぎません。
演奏の際の「やっているつもり感」は音づくりにとって手ごわい障壁です。
コンサートに限ったことではなく、レッスン時、そして自宅での練習中でも同じです。
「こう響いているはずだ」という思い込みはほとんどの場合、
脳内で自己流に形成されている理想の音響であって、
実際に楽器から生まれているリアルな音響とは乖離しています。
自分の録音を聴くときに、この思い込みをリセットしてリアルに聴けるかが
上達へのキーポイントなのです。
若い頃私自身も恩師に言われましたが「自分の音を聴く」ことは口で言うほど簡単ではなく、
多くの実践経験とトレーニングによってのみ身につく能力なのです。
今回、これを痛感しました。
■避けられない「老い」
この「聴く」という能力も、
今回私が演奏活動にひと区切りつけようと思った背景にある要因のひとつです。
「今井先生の音は美しい」と言っていただけると、すなおに嬉しいです。
でも、ピアノの音は弾く人によって多少の差はあれど、やっぱりピアノの音のままです。
ヤマハ、カワイの音とかスタインウェイ、あるいはベーゼンドルファーの音とか言うものの、
基本的には誰が弾いても誰が聞いても「ピアノの音」であることに違いはありません。
人の声のような差はないのです。
人声だったら男女差のみならず、個人差(=個性)は強烈です。
ピアノの音色に弾き手による差が生じるとすれば、それは
ピアノのハンマーが弦を叩くことによって生じるピアノの基音の響きではなく、
そこから派生する倍音配分の差にその秘密が隠されているのでは?
と私なりに想像しています。
それも、単音ではなく和音のバランスがポイントです。
それだけでなく、骨伝導の問題(鳴っているのは楽器だけではなく、奏者の身体も共鳴している、という理論)も無視できないでしょう。
「倍音を聴いて判別する」とは、まさに聴覚の能力の問題です。
理論やテクニックではなく、感性・感覚です。
訓練にもよりますが、加齢によって避けられない身体的な衰えは如何ともし難く、
正直に告白すると、私自身この年齢(来年70歳)になって、
若いときのようには倍音を聞き取れなくなりました。
特に高い音が聞こえません(さすがに鍵盤を押して出る基音は全部わかりますよ〜)。
若い頃はソルフェージュの先生が不作為な不協和音をピアノで弾いて
「はい、何の音か答えなさい」
と問われた時、それがどんな和音でも、何個重なっていようとも、造作なく即答できました。
基音とは別個に響いている倍音をピピピピッと瞬時に分析できたのですが(基音はどんなににごっていても、聞こうとさえすれば倍音は常にクリアに浮かびあがって聞こえます)、
今はもう無理です。
ということは、今の自分が「これが一番いい響きだ」と思って創りあげた音でも、
実際に会場に届いている音色とは違っているかも知れないわけです。
こればかりは確かめようがありません。
衰えはまだ軽微だと信じたいですが、他の人にはない音の美しさを求めてきただけに、
これも「そろそろ年貢の納め時が近づいたのかも知れない」と思うに至った理由のひとつです。
日常生活でも次第に子音の判別があいまいになり、
とりわけ電話で相手の名前を認識しづらい、あるいはテレビの音が大きめになりやすい、など、
まさに「正真正銘のジジイ」になりつつあります。
まさに年相応、ですね。あらがってどうなるものではありません。
■ありがとうございます
長くなりました。
今は「へ、練習?」という感じでピアノから距離をおけていますが、
レッスンの仕事もありますので必要最小限の指トレは続行しています。
時間がたてば、またピアノを弾きたくなるかも知れません。
でもその時には筋力も瞬発力も今とは違いますし(たとえ数日でも「何もしない」ことによってもたらされる衰えは想像以上です)、運動機能の現状維持、ましてや向上のためにはとてつもない努力が必要になるでしょう。
その努力──それでもピアノを弾いていることが何よりも嬉しい、というのであれば構いませんが、そうなると日夜ピアノの部屋に籠もりっきりにならざるを得ません。
それを私自身が望むかどうか、太陽の差し込まないピアノスタジオに籠もるのが幸せか、
ピアノと共にある時間を本心楽しめているか、
そしてそうした姿が生活を共にする家族の幸せにも通じるかどうかは、
その時になってみないとわかりません。
今のところは「身体の動くうち、健康なうちにやっておきたい音楽以外の事」が山積みです。
まずはそちらに向きあいはじめています。
■最後に一番大切なご報告を
ファイナルコンサートを終えてから、心なしか日常生活の中で、
誰よりも大切な、妻の笑顔が増えたように感じています!
そして何とリサイタル以降、起床後に夫婦揃ってテレビ画面の前に陣取り、
ユーチューブで提供されている映像に合わせて
ラジオ体操の第1+第2+第3
をやるのが日課になりました。
足元ではワンコ2匹がじゃれあっています。
10分弱で終わりますが、いろんなバージョンがあって楽しいですよ。
老夫婦にとっては適度な運動になりますし、
子供のいない我々にとって嬉しい、幸せなひとときです。
この幸せが少しでも長く続きますように!
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まだ東京のコンサート当日(5月28日)まで一月半もありますが、予想外の展開となり、
おかげさまでほぼ満席の状況となりました。
今後はご購入のご希望をいただいても、ご要望にそうことが適わなくなりました。
大変に心苦しいのですが、どうかご寛容いただきたく存じます。
なお、宇都宮公演(4月23日)と大阪公演(5月19日)はまだ大丈夫です。
東京会場の当日券は必ず準備いたします。
天候その他の状況によってはご来場を断念されるお客さまもおられると思います。
空席が生じたならば、ぜひひとりでも多くの方に聴いていただきたいです。
そこが「全自由席」システムの強み。「当日券、あります」というお約束だけはいたします。
「ほんとうに最後なのですか」
「なぜ最後なのですか」
「最後と言わず、ぜひまた続きを」
という暖かいお心の籠もったお言葉をたくさんいただきました。ありがとうございます。
それにお答えする意味も込めて今のうち、まだ「最後の公演」を実施する前に、
今の私の心境をお伝えしておこうと思います。
前回のブログの時から少し変化しているかも知れません。
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WBC、すごかったですね。最後の大谷選手とトラウト選手の真剣勝負。
武者震いするようなプレッシャーだったことは、本人たち自らが語っています。そして
「まさにこういう勝負を求めていたのだ」
というメッセージが両選手から聞こえてきました。
写真、お借りしました。
そうだ、私が暗に挑もうとしているものもこれか、と思い当たりました。
今回を最後と決めることによって、緊張は格段に高まります。
それに加えて満場のホールでの演奏。
緊張感はさらに極限まで高まります。
「最後」と決めなかったら、
この何ものにも替えがたい緊張感とプレッシャーは得られなかったでしょう。
それに自分はどこまで耐え、何ができるのか──こうした極限のプレッシャーには、
自分がまだピークを保てるうちに立ち向かいたい。
何をもって自分のピークとするかの判断は困難です。
身体能力のピークはすでに越えてしまいました。
逆に音楽的感性のピークはゆるやかながら高まりつつあるようにも感じます。
視力はかなりやばく、聴力はぎりぎりです。演奏に不都合はない、と思いたいですが、
若い時と比較すると、高次倍音の聞きとり能力は確実に衰えています。
「自分に聞こえているように聴衆にも届いているか」は確かめようがありませんが、
少しずつ不安になってきました。
要はバランス。
これ以上先延ばしにすると、さらなる成熟への夢はふくらんでも
握力をはじめとした体力、瞬発力と気力がついていかなくなります。
とりわけ集中力の持続が問題で、「まじでやばい」です。
ユンケルは効かないのかなあ…。
今ならまだ全身全霊を込め、全力でこの課題にチャレンジできます。
自ら自分に課したプレッシャーは「もう二度と得られない」からこそ、
一生の宝物となるに違いありません。
結果はわかりません。自分を信じてしっかり弾ききりたいです。
もし不満が残る結果だったとしても「再チャレンジ、もう一度」に価値はありません。
ただ一度のみ。
それまで悔いのない準備を積み上げ、矢吹ジョーのように燃え尽きてみようと思います。
追伸:東京文化会館は魅力的な建物ですがいかんせん設計理念が古く、とりわけ小ホールの女性用トイレの数が圧倒的に不足しています。休憩時間はなるべく長く、とは思っていますが、ご来場の際はご留意下さい。
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ファイナルピアノリサイタルに向かってすべてが動き始めました。
自分のウェブサイトもようやく整え終わり、一段落。
こちらです↓
「最後」と謳ったコンサートでもあり、いつもより興味を持って下さる方が多く
嬉しいことにチケットも順調に売れ始めました。
東京公演は販売開始後約2週間にして、なんと、すでにホールの半分がうまりました!
かやにかパパが出演するコンサートとしては前代未聞のペースです。
左がはな、右がだい。かわいいです。朝5時に起きちゃうのには閉口しますが…
あとはその日が来るまで、一日、一日と地道な練習を積み重ねていくばかりです。
まずは4月23日の宇都宮公演に向けてがんばります。
その後5月19日には大阪公演、そして5月28日が正真正銘のファイナル、東京公演です。
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少しずつ春の気配が濃くなってきました。
昨年まではあまり気にしていなかったのですが、
今年はどうも花粉症がはっきりと出てきそうな予感がします…。
早朝にでるくしゃみの連発もそのひとつなのだと思われますが、
食事中にも透明な鼻水がタリ〜と流れてくるのが悩みです。
そのまま食べ続けていると
ちょっと〜、食欲失せるから何とかしてっ 鼻かみなさいっ
とトイメンに座しているカヤニカままに叱責されます。
食卓ではともかく、
4〜5月に企画されているコンサートの演奏中に鼻が垂れてくると困るなあ
と心配しているところです。
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閑話休題、新刊の楽譜が届きました。
カール・チェルニーのフーガ集です。
今月2日に春秋社より刊行されたばかり、まだ刷り上がったばかりの楽譜です。
カール・チェルニー『12の前奏曲とフーガ──フーガ演奏教本 作品400』(春秋社)
チェルニーと言えばピアノ教室の生徒たちが忌み嫌う「練習曲」の作曲家。
「チェルニーの練習曲をやらされたことがない」という人はほぼ皆無と思われます。
チェルニーは膨大な数の練習曲を残していますが、明晰に構築された秀逸な教材です。
音楽的にも特に悪いところはないのですが、楽しくない。幸せになれないのです。
この試練に耐えた者にこそ栄光が訪れる
といった、スポ根、スパルタ的な傾向があるのかも。
しか〜し。チェルニーは何もイヂワル目的で練習曲を量産したわけではなく、
しっかりとした手ごたえのある芸術作品も創作しています。
何と言っても、知る人ぞ知るベートーヴェンに師事していた人ですからね。
そしてかの技巧派、フランツ・リストの先生でもありました。
じつは、すごい人だったのです。
《演奏教本》とは銘打ってあるものの、なかなかの力作のようにお見受けしました。
私も初めて出会った曲ですし、おそらく日本初登場だと思います。
フーガというジャンルの作品は、初見演奏に慣れた者にも手ごわい存在です。
弾けるようになるまでに結構手間ひまがかかります。
というわけで、この曲集に関しては、すでに音源(世界初録音!)も準備されています!
https://diskunion.net/classic/ct/detail/1008579807
「人の弾かない名作を弾いてみたい」という方におすすめです。
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隠れた名曲と言えば、フリードリヒ・クーラウという作曲家も忘れてはいけません。
ベートーヴェンと同じ時代に活躍した人です。
フルーティストにとってはスタンダードのレパートリーの作家ですが、
ピアニストには「ソナチネの作家」でしかない、かわいそうな存在です。
ところがクーラウはソナチネ以外にもピアノのソロ曲をたくさん創作し、
こんなにたくさんの楽譜が出版されているのです。
ソナタ、変奏曲、小品集などなど何でもござれ。
発行元はインターナショナル・フリードリヒ・クーラウ協会。こちらをご覧下さい。
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ことのついでに最近読んだ本のうち、特に感銘を受けたものを2冊ご紹介しておきましょう。
1冊めはこれ。ちょっとお堅い学術書です。
M.A.ボンズ『ベートーヴェン症候群──音楽を自伝として聴く』(堀朋平・西田紘子訳、春秋社)
私たちはクラシックの作品を聴くと、そこから作曲家の人生や精神性を聴きとろうとします。
演奏家としても、その表現をめざして切磋琢磨するのが大きな課題です。
そこがおもしろいところではあるのですが、
そうしたアプローチはベートーヴェン以降になって発生したものなのだそうです。
「芸術作品の理解度は、演奏家と聴衆の認知力に委ねられている」というわけ。
それまで、つまりハイドンやモーツァルトの場合はそうではなく
聴衆が理解できない原因は、作曲家にある
というスタンスだったということです。
お笑い芸人が必死でコントを作っても、客が笑わないのは芸人がわるい、
という状況と似ていますね。
当初、作曲家は芸術家ではなく、職人だったのです。
そんなことが述べられている、どちらかというと専門家向けの固い本ではありますが…。
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そうではなくて、娯楽としてもどっぷり楽しめちゃうのは、こちら。
中田朋樹『彷徨──フランツ・シューベルトの生涯』(鳥影社)
シューベルトの人生を描いた小説です。何と941ページの大著。
手に持つと重いです。厚くて枕にできます。
でも、あまりにおもしろくて私は思わず一気読みしてしまいました。
100%ノンフィクションの伝記ではないのですが、
司馬遼太郎の歴史小説とおなじようなもの、と考えてください。
さもありなん、という生き生きとした描写がたまりません。
でてくるウィーンのストリートをグーグルマップで検索すると、ちゃんと見つかります。
ウィーンに行ったことのある人にとっては
あそこか〜。うわ〜、たまらん
という感激も。
ぜったいもう一度行きたくなります。
なお、かなり濃厚な性描写も含まれていますので、
《即興曲》や《楽興の時》などを練習中の若者に与える前に、
保護者や指導者による事前の内容確認が必須です!
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近隣のどこぞの国では今が正月だそうです。
が、わが国ではすでに過ぎ去ったこと。
明けまして… とはもう書けません。
寒中お見舞い申し上げます
今年もどうかよろしくおつきあいください。
ボス爺の小太郎を先頭に行進するだいとはな
今年最大のイベントは何と言っても5月28日のリサイタル。
チラシは現在作成中です。
もうすぐ完成しますので、詳細はその時にまたあらためて。
気にかかるのは、今後のコロナの扱いに関する国の方針です。
入場規制が強化されることにはならないでしょうが、身勝手なコロナウィルスの立ち居振る舞い、
何がどうなるか予断は許せません。
コンサート終了後、以前のようにロビーで皆様にお会いできるのであれば嬉しいのですが…。
ところで、今は河口湖近くのいつもの宿にいます。
4泊5日のミニバカンスですが、それも今日で終わり。
すぐ目の前に見える富士山の山腹には、何と、農鳥 が出現しています。
本来は春先、田植えの頃になってから見えるはずなのですがね…
──と思ったら、昨晩から極寒波襲来。
日本各地で事故や障害も発生しているようです。
ちなみにご当地の今朝の温度はこれ。
地球が風邪をひいてますね。
個人の力では何ともできませんが、心配です。
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生まれて初めて生で見たボクシングの試合。それも、リングサイドの1列目!
グローブをつけているとはいえ、人が人をボカスカ殴る音や「シュッ」という息はもちろん、
2メートル前のロープ際に追いつめられながらパンチに耐える選手の背中が目前にあるのは
すごい迫力です。
テレビとはぜ〜んぜん違います。
行ったのは B-UP という団体のイベント@代官山でした。
元プロ、アマ問わず誰でも年齢制限なしで参加できる、というものですが、
☆完全プロボクシング試合形式
☆2分3ラウンド
☆ジャッジ3名の採点集計による勝敗
☆プロボクシング公式リング使用
☆リングアナウンサーによる名前コール
☆好きな曲を流しながらの入場
に加え、おへそがかわいいラウンドガールもいましたよ〜。
つまり、技量と経験はともかく、ボクシングにはまったからには
《世界タイトルマッチと同じような雰囲気の試合を体験できる》
という、どちらかというとアマチュアボクサー向けのイベントです。
始めて1年少々、という人や、まだ16歳の若者、あるいは還暦を越えたお爺さん、
本職は弁護士のおじさんとか、現職、前歴はいろいろです。
こうしたいわゆる「ボクシング好き」にならんで、もちろん「プロボクサー」もいます。
そんな一人、ヤス君は私のメントレ仲間の爽やかなプロボクサーです(でした、なのかな?)。
今は横浜で大人気の女性専門のジム、GOKIGEN BOXING を経営しています。
筋肉に入ったカットが美しい。鍛え上げてるね!
もう10年以上も試合から離れていたので今回一念発起、
ライトヘビー級タイトルマッチに挑むということなので、応援に行きました。
対戦相手(前チャンピオン)の身体は少しぽっちゃりしてるみたいです…
そして、何と、見事タイトルを3回KOでゲット!
チャンピオンベルトを手にしたのです。
嬉しいなあ。現場でリアルにヤス君の勇姿を見られて何よりでした!
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嬉しいことに、大学院での教え子が大活躍しています。
こんな不況な世の中です。きっと苦労しているに違いありません。
でも、ぜんぜん負けてない。がんばってます。
大学院ではピアノもがんばり
↓
修士論文も立派に書き上げ
↓
よき伴侶を得たと思ったら
↓
青年海外協力隊のピアノ教師としてモルジブに赴任し
↓
調律師がいないために現地のピアノが壊れたまま放置されているのに愕然とし
↓
よし、自分で修理できるよう今から調律師になるんだと発奮し
↓
現在では新宿の目抜き通りで輸入ピアノを中心としたショップを経営している!
という、すごい女性です。
会ってもそんな凄腕には見えません。
でも、たくさんの人からの信頼厚く、
とあるマネージメント会社の業務も請け負い、
ピアノも売るし、音楽を広めることにも余念がありません。
「なんだか、うち、駆け込み寺みたいになっちゃってるんですよね〜」
とぼやいてはいるものの、
みんなから慕われているのをひしひしと感じます。
世間的に言う「起業家タイプ」なんでしょうね。
すごいと思うと同時に
自分が活躍できる場を得られてよかったな
と、心から応援しています。
大学院のレッスンで厳しく教えたことがどのぐらい役立ってるかは別として…。
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さて、ここからが本題。
先日も「社長、忙しいだろうけれど、いるかな?」と立ち寄ったところ、
(ほんとはお店のトイレを借りたかっただけなのですが)
会えました!
ショールームにはスタインウェイのフルコン、Dモデルが2台!
中古です。いろいろなホールや公共施設で長年使われていたものが減価償却完了とともに売りに出された、個人使用とは違うもだとのこと。
状態は万全です。
左側の2台。右のはベヒシュタインのフルコンです。
気になるお値段は1500万円。
新品は3000万円ぐらいだったと思います。
これを「高い」と思うか「お買い得」と思うかは人それぞれですが、
スタインウェイのDで見た目ピカピカだし、きちんと調整済みだし、
正直、すごい掘り出し物だと思います!
とりあえず置く場所があれば、の話ですがね。ピアノはやっぱりデカいです。
フルコンサートモデルとなると、なおさら場所ふさぎ。
私も試弾してみました。
派手ではありませんが、手堅い感じ。
製造番号から見るに、1990年代の楽器です。
いかがでしょう。私としてはチョーお薦めですよ〜!
お店の情報はこちらです。決してあやしい店ではありません:
https://www.imported-piano.com
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あえてウクライナ問題に触れます。
日本国内で現在進行中のさまざまな事案・騒動の報道がかしましく、
ウクライナでの戦争の影が薄くなっています。
何が真実なのか私には判断できませんが、
ネット上に提供されているさまざまな視点からの情報を私なりに整理してみました。
どれも短い動画ではありませんが…。
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■日本を含めた西側諸国では
「ロシアが一方的な悪者でウクライナが被害者だ」
という構図になっており、たとえば以下のようなレポートがそうしたことを補強しています。
「何もかも嘘だった」 国外へ脱出のロシア兵、ウクライナ戦争を批判
■しかしさまざまな情報に触れていると
「本当にそれが真実なのか?」
という疑問がわいてきます。たとえばこれ(約43分)。
I took a LIBERAL, ANTI WAR Protester to see the truth in Donbass, and THIS Happened!
動画の画面にある歯車マークをクリックして「字幕」「自動翻訳」「日本語」と設定することによって、
おおよその内容を追えます。
同じリソースからですが、短いバージョン(約17分)がこちら。
これにはわかりやすい日本語字幕がつけられています。
■2016年にウクライナのドンバス地方で起こったことの記録はこちら(約53分)。
上記の自動翻訳で日本語の字幕を参照することができます。
ロシアが主張する「ネオナチの台頭とそこからの解放」の意味が
少しだけわかるような気がします。
「ロシアが突然ウクライナを侵略した」という単純な話ではないことが想像できますが、
何よりも衝撃的なのは爆撃が行われている、まさにその場にいるような臨場感、
そして現在も戦地と化している市街の様子です。
自分がまだ生まれていなかった第二次世界大戦当時のドキュメンタリーを見るのとは違い、
誰でも旅行に行けば目にする市街地が
こんなに悲惨な様相になってしまうのだ、と心が痛みます。
私自身ウクライナに行ったことはありませんが、
長らく住んでいたウィーンの風景(観光スポットではなく、庶民の日常が根づくエリア)、
あるいは近隣の旧東側諸国の雰囲気と共通しているところも多く、
道路や家屋、そして住居内の調度を見ると
「そうそう、これだ」
と肌で感じるような感覚を覚えます。
Donbass - 2016. Documentary Anne-Laure Bonnel
自動翻訳機能(日本語対応)で不完全ながらもフォローできます。
動画画面の歯車マークのところから設定できます。
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報道によって人々の思想がいとも簡単にコントロールされてしまう、
というのは本当に恐ろしい。
ロシアでも、中国でも、また北朝鮮でも、
為政者によって報道への締めつけが意図的に行われていることは周知の事実です。
また、嘘を本物に見せかけるフェイクの技術は日に日に進化しています。
「日本は自由な国だから」
という安易な安心感は捨てて、
「ちょっと待てよ」
と立ち止まるべきではないでしょうか。
テレビ局や新聞各紙の報道の濃淡を見ていると、
現代日本のジャーナリズムの危うさを感じます。
日本政府から、何らかの恣意的アプローチが秘密裡に行われているように思えてなりません。
今のわが国で、さまざまなものが劣化しているように感じるのは私だけでしょうか。
昔の省庁のエリートたちは「日本を背負っていくのは俺たちだ」という気概とともに
もっと緻密に物事を考え、頑固なまでにそれを主張していました。
それによるデメリットも多々ありましたが、責任の所在は今より明確だったと思われます。
でも、人事権が政府に移譲されたのをきっかけに、
「忖度(そんたく)」が横行するようになってしまいましたね。
尊敬に値する政治家への忖度ならば片目ぐらいはつぶれますが、
今の政治家たちのていたらく。とんでもありません。
そういったことを追うのがメシのタネであるべき報道関係者たちも、
以前のほうが今より正義感に満ち満ちていたような気がします。
法科大学院が乱立するようになってから
弁護士をはじめとする法律家たちの質が落ちた、とも言われます。
私の単なる「昔は良かった症候群」なのかもしれません。
それならば、それでいいのです。
でも、若い人たちが希望に胸をふくらませてしっかりと活躍でき、
上昇する意欲が湧く未来になってほしいと心から願っています。
「がんばれば、できるよ!」
と心をこめて励ましてあげられないのが、悲しいです。
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2021年9月5日に千葉は九十九里浜の近くで生を受けた“だい”と“はな”。
犬種はクリサジーク──チェコ原産の、めずらしい小型犬です。
産院に向かう車の中で生まれてしまったので、どちらが先だったか確認できず
果たして兄妹なのか姉弟なのかは不明です。
昨年の12月8日から、かやにかパパとカヤニカままの家族になりました。
わが家では「姉弟」であり、雌のはながにらみをきかせています。
はなは筋肉質で運動神経抜群ですが、だいはちょっとどんくさい。
ソファーに飛び乗るときにも、しばしば恥ずかしい醜態をさらします。
でもいったん外に出かけると状況は一変。
社交性に長けたイケメン、フォトジェニックな牡のだいがリーダーとなって
力関係は「兄妹」に転換するのです。
最新の姿はこちら。かわいいなあ。保護者にとってはたまりません。
体重はそれぞれ2キロをちょっと越えたところです。
もう少し大きくなるものの、2キロ台でおさまってほしいです。
かやにかパパが朝トレのメニューのひとつ、腕立て伏せをしていると
2匹とも背中に飛び乗ってくるのですが、かなりの負荷増になります。
オレンジの首輪がはな、右がだい
生後3ヶ月で来た頃は、まさにパピーそのもの。
トイレトレーニングもたいへんでした。
上がだい、下がはな
でも2匹いると、お互い遊び相手にもなるし、社会性もつくようです。
いまだにじゃれ合っていますが、ほんとに楽しそうです。
ほぼ成犬のサイズに育った今では、不肖かやにかパパもまぜてもらい、
カーペットの上で三つ巴のレスリングを展開しています。
当初は1匹、牡のだいだけをもらおう、という計画だったのですが、
ブリーダーさんのところでかやにかパパが突然「娘ちゃんもほしいよ〜」と言いだし、
急遽2匹の引き取りとなりました。お財布がちと痛かったデス。。。
はじめのうちは
こんなに世話かかるの、いったいどうしてくれるのよっ。
アンタ手伝おうとしないしぃ。
ぼ〜、と立ってるだけじゃダメだっつうの。
とカヤニカままとの摩擦が頻発していましたが(あ、それは今も、です)
今となっては
2匹いてくれてよかったね〜 ほんと、楽しそう!
とまさに私たち夫婦の「かすがい」となってくれています。
あ、今回は登場していませんが、小太郎も健在です。
兄貴分のカーヤと実の母犬のニカを亡くして意気消沈し、
一時は「もうだめか」と心配したのですが
若い子たちに刺激されて、少し活性化しました。
もちろん身体能力では太刀打ちでないし、毎朝の点滴も欠かせませんが、
先住犬としてのプライドを持って、かやにか家に君臨しています。
そして、そのプライドを大切にしてあげるのも、みんなの大切な任務です!
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ようやく東京のホールを予約できました。
来年、2023年5月28日(日)、東京文化会館小ホールです。
コンサートは午後。シューベルトを予定しています。
1979年のデビューリサイタル以来、このすてきなホールを拠点にして歩んできました。
自ら決心し、企画を立て、毎回祈るような気持ちでチケットを売り、そして演奏する。
自身の成長を確認するための、自分にとっては何よりも過酷なステージです。
その積み重ねに、来年で終止符を打とう、と決めました。
一番の理由は、これだけ責任の重い企画を推進する体力と気力が衰えてきたこと。
そして、自分の演奏にゆるみや甘えが生じても、
それを真摯に指摘して下さる方が少なくなってしまったこと。
今後演奏活動を続ければ、おそらくみなさまは暖かく励まして下さると思うのです。
「老齢になってこその円熟の境地」という言葉も、甘い誘惑です。
「まだ若い、芸術家としてはこれからが勝負」と言われれば、容易に反論できません。
でも、それでは何も変わらない、そして変われないと思うのです。
現在活躍中の若いピアニストたちと比較したとき、音楽的な経験とアプローチはともかく、
フィジカルな身体能力がもはや遠く及ばないことは、火を見るより明らかな現実です。
「それを補う老境の悟りと枯れた表現の魅力」には甘えたくありません。
自分をやんわり甘やかしてしまうのは、望むところではないのです。
スポーツの選手と同じです。
まだ惜しまれているうちに、自らの意志で身を処したい。
確かに「今だからできること」もあるに違いありません。
でも、以前はできても今できない──「まだ大丈夫」は禁句です。
実は来年、2023年は妻と私にとって結婚40年目となる節目の年です。
妻は結婚以来の39年間、幼少の頃から育んできた自分の夢を封印して、
私の音楽活動を支えてくれました。
若い頃の「その日暮らし」のような毎日でも、いつも明るい笑顔でごはんを作ってくれました。
喧嘩もたくさんしました。危機もありました。
私のわがままで泣かせてしまったことも数えきれません。
この39年間、妻は私の音楽のためにすべてを捧げ、つくし続けてくれたのです。
そこから解放されたい、と感じている妻がいます。
私も、そうしてあげたい。40年が節目です。
まだ元気で健康なうちに、日々の練習や仕事のしがらみから抜けだして、
一度自由に羽ばたいてみたいのです。
結局満足できないかもしれません。
そういう生活にするとすぐボケる、とも言われます。
単にカッコつけただけで、すべてがたわごとで終わってしまうかも知れません。
でも、試せるのは今が最後。
「練習しなくちゃ」とつぶやき、休暇の旅先にまで練習用鍵盤を持参する生活は
そろそろ終わりにしたい。
その決意を確認するためにも、これからの一年間、自分と真摯に向きあってみたいと思います。
最後にもう一度だけ皆様の拍手を浴びたい、という夢を追いながら、
ラストランの準備にはいります。
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このところ腰の調子がいまひとつです。
3月末に久しぶりにギックリ腰をやって以来、
ずっとすっきりしません。
それも風呂場に座って朝シャンしていたら、それだけでギクッときた、という情けない原因。
以前だったら2週間ぐらいで回復していたのですがね…。
8年前にギックリの連発に見舞われた時期があり、その時には
お〜し、身体をイチから鍛え直してやるっ
と心機一転、意気込んでパーソナルトレーナーを紹介してもらい、
筋トレメニューを組んでもらいました。
松井秀喜の大リーグ時代のトレーナーですから、最強です。
その時の腹筋メニューを、それ以来ずっと続けてはきたのですが、今回はそれもままならず。
やったとしても、おっかなびっくりです。
この年になって心配なのは、足腰が弱ること。
散歩が一番、とは言われますが、推奨される1日8000歩以上、というのはかなりきついです。
思ったより時間がかかるし、天候に左右されるし、これからは暑くなるし⋯。
その代わりに、と思いついたのが、ステップトレーニング。
それもコストをかけずに、ひたすら自宅の階段を登る、というやつです。
私が住んでいる集合住宅は4階建てで、65段の階段があります。
これを登り、エレベータで下り、また登る。
通過したらひとつ、また通過したらもうひとつ…
Spotifyで音楽を聴きながら、無心にステップを刻みます。
心を無にして登り続けます!
昨日は26分かけて1105段登り、152カロリー消費。平均心拍数は107。
3日目にしてはちと無理しすぎました。今日は腰が…。
本末転倒ですね。三日坊主の始まりか?
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モーツァルトの編集作業、少しずつ慣れてきました。作業の手順も決まりつつあります。
現在手がけているのは、世に《トルコ行進曲つき》と言われている有名なイ長調のソナタ。
2014年にモーツァルトの自筆楽譜の一部が偶然に発見され、大騒ぎになった作品です。作曲されてから230余年たってからの発見ですからね、そりゃ大事件。
これです。インターネットで無料でダウンロードできるので便利です。
その自筆譜のファクシミリと、当時モーツァルト自身も出版に関わった初版譜(1784年刊)のコピーが基礎資料。初版譜は印刷原盤の更新に伴って4種類もあり、細部に看過できない齟齬が含まれます。これがモーツァルトの指示によるものか、という判断が世界の音楽学者たちの論点のひとつになっています。
あとは、18世紀に誰かさんがモーツァルトの楽譜を書き写したと思われる筆写譜のコピー(これも最近発見されました)、そして原典版という現代の市販譜(各社版いろいろあります)の内容と、それに付随している校訂報告の内容を、前述の基礎資料と比較チェックしていきます。
微細な差違の評価を紙上の一覧表にまとめてもあまり役立たないので、古くなりつつある「マイ脳みそ」の中で記憶を頼りに整理するのですが、半分「勘」の領域にも踏み込みかけているのが実情です。
要は、資料にある様々な違いに優先順序をつけて絞り込んでいくのですが、
「なぜそういう順序にするのか」というロジックを自分なりに組み立てるのがポイントです。
ううう、複数の資料からの情報が、頭のなかで絡まりそうだ〜。ボケたら、無理。
机上に広げた資料は、その作品が片付くまで出しっぱなし、広げっぱなしです。
そうできる机があったことが幸いでした。
食卓だったら不可能。スペースはあっても、食事のたびに「はい、片付けて」と言われたのでは、せつなすぎます。だからと言って、ふだん使っているデスクは狭すぎるし。
散らかっています。でも何ともできません。
楽譜編集の際に悩むのは
完成した楽譜に表示するバージョンを極力ひとつに絞りこむ
という取捨選択の決断です。別バージョンを小さく並行表記することもありますが、どちらかと言うと例外的。
こんな感じで補足することがあります。
でも、相手は音楽ですから「こっちもいいけど、あっちも捨てがたい」と
甲乙をつけられない場合が多々あります。
科学と違って「割り切れないところ」が芸術の良いところでもあるのですが…。
正解はあるような、ないような。人の好みも影響してきますからね。
モーツァルトさんに電話かメールで直接問い合わせられれば良いのですが、それは夢でしかありません。死後布の袋に詰められて他の人と一緒に共同墓地の穴に投げ込まれたモーツァルトさんの埋葬場所さえも、正確にはわかっていないぐらい。行方不明なのです。
ところで、焼鳥は塩で食べても良し、タレで食べても良し。
両方とも正道ですが、食べるときには串の種類によってどちらかになりますよね。
決めて注文しなければなりません。
演奏も同じです。それをサポートするのが、楽譜。
でもおそらくレバーはタレ、軟骨は塩。
それが音楽で求められる「スタイルを把握している」ということ。
ねぎまにケチャップやジャムをつけたのでは、食べて具合が悪くならなくても、本来の伝統的な焼鳥ではありません。
「モーツァルトをモーツァルトらしく弾ける楽譜を編纂する」とは、そのへんのバランス感覚を問われる大いなるチャレンジです。学術的に誤謬のない、作曲家の意図通りの楽譜を再現する目的で編纂される原典版とはひと味違う「使って腑に落ちるみんなの楽譜」を作ろうと思っているのです。
楽譜として印刷する音符や記号のレイアウトが決まったら、
この楽譜を使って勉強する人のために、運指用の指番号を入れていきます。
これまた「こっちもあっちも捨てがたい」という悩みどころです。
人によって手の形も大きさも違いますからね、「これで文句なし」という決定打はありません。
加えて今回は「どの音符に表記するか」も工夫したいと、こっそりもくろんでいます。
必要なところに印刷するのは当然ですが、音楽のリズムに即した表示を追加すると、あなどりがたい効果が見込めそうなのです。モーツァルト演奏における「単純なはずなのに、なぜか指がからまる」という万人の悩みの解決につながるかも!?
補足の脚注も「できるだけわかりやすい日本語」にしなければ。
モーツァルトのソナタなら、小学生も弾きますし。
装飾音の弾き方についても、当時の装飾記号を実際の音符に変換した原稿を脚注用に準備します。
でも最近は、楽譜はコピーして使うのが主流になってきました。
出版社は憤慨し、泣いています。そして本屋さんや楽譜ショップも。
A4より微妙に大きいフォーマットで作られている楽譜をコピーすると、
苦労して練り上げた脚注が、コピー面に入りきらないことがほとんどです。
困ったもんだ。そこにこそ大切なヒントが隠されていることが多いのに…。
モーツァルトのソナタは1番〜18番まであって、
そのうち1曲は幻想曲+ソナタという構成になっています。
だから、実質19曲。
先のことを考えると気が遠くなりそうですが、
目の前の課題をコツコツと片付けていくしかありません。
大学を退職して以来、毎日が日曜日。曜日の感覚はすでに吹っ飛んでしまいました。
巷はゴールデンウィークといえども、わが生活ペースには変化なし。
楽譜編纂の作業にとっては、それが幸いしています。
あ、でも、さっきワンコを抱いてソファーで昼寝していたら、寝過ぎました…。
いかん、いかん。。。
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いよいよ始まります。
人生最後の大仕事となりそうです。
内容はモーツァルトのピアノソナタ全曲の再校訂。
1〜2年ぐらいかけての大作業となりそうです。
資料はほぼ集まりました。
自筆譜のコピー、初版譜のコピー、そして出版されている楽譜等々。
モーツァルトの楽譜に関しては良質なものがすでにたくさん市販されていて、
「何をいまさら」という感も否めません。
すでにご存じの方もたくさんおられるとおり、実は私、
10年ほど前にモーツァルトのソナタアルバムを出版しています。
その時はいろいろ工夫をこらしたつもりだったのですが、
それが原因になってちと個性的になりすぎ、
かえって使いづらくなってしまったかも、と反省しています。
モーツァルトに関しては私の恩師、パウル・バドゥーラ=スコダ先生より
たくさんのことを教えていただき、音楽家としての私の支えになっています。
50余年にわたって師が無償で与えて下さった薫陶は、何よりもの宝です。
しかしその恩師も3年前に亡くなりました。
こんな時もありました。懐かしい。
10年前のアルバム編集の時には、資料の面でも、音楽解釈の面でも、
大きな力を与えてくださいました。
「質問すればエキスパートが必ず答えてくれる」という特別待遇は、もうなしです。
でも、スコダ先生から伝授されたモーツァルトへの感覚、愛、
そしてウィーンならではの演奏伝統もふまえながら、
恩師への最後の恩返しとして、がんばろうと思っています。
──と、果敢な決心を表明するのは良いにしても、問題は、視力。
約1年前に白内障の手術をして多焦点レンズを入れました。
いやぁ、高かった〜。今思い出しても涙が出そうです。
で、日常生活はほぼ眼鏡なしですむので便利になりました。
でも「細かいものをビシッと見る」というのが、ちときつい。
「追加のメガネで補正できるだろう」とたかをくくっていたのですが、
そこが今のところ一番の心配事になっています。
いろいろ試してはいるのですがね…。
さーて、これからはデスクワークの比重が高まります。
運動不足にならないようにしないといけませんね。
ワンコに手伝ってもらおうかな。
だいぶおとなになったはなちゃんとだい君。
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4月14日に大阪は天満教会でモーツァルトのソロリサイタルをやります。
詳細は【ここ】をクリックして下さい。
以下の画像が大きく表示されます。
トークコンサート企画ですので、話をしながらの進行になりますが、
「何をしゃべるか」を覚えておくのも、思ったより大きな負担です。
演奏しながら「次のトピックはこれとこれ」と考えるのは落ち着きません。
事後「あ、あのことにも触れるべきだった」と思い出すのもくやしいです。
というわけで、今回はメインの話題をプログラムノートとして配ることにしました。
書いてみたら、思いがけず「モーツァルトのキモ」みたいな内容になりました。
当日頒布だけでお蔵入りさせてしまうのはもったいない、と思い、
ポイントになるところを以下ににご紹介させていただきます。
すみません、少々長文です。
でも、大切なことがまとめられました。
これを読んで「コンサート、行ってみようか」と思って下さるのであれば、嬉しいです!
ヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルト(1756〜1791)
ソナタ ハ長調 K.330
ゆったりめのアレグロ ─ 歌のようなアンダンテ ─ アレグレット
ソナタ イ長調 K.331「トルコ風行進曲つき」
上品なアンダンテ(変奏曲) ─ メヌエット ─ トルコ風に(アレグレット)
─ intermission ─
ソナタ ヘ長調 K.332
アレグロ ─ ゆっくり落ち着いて ─ とても活発に
ソナタ 変ロ長調 K.333
アレグロ ─ 歌のようなアンダンテ ─ エレガントなアレグレット
筆者注:アレグロは「生き生きと元気に、活発に」、アレグレットは「すこし控えめなアレグロ」、アンダンテは「落ち着いて前進する」というイメージです。
モーツァルトを楽しむ
今井 顕
本日は、元気はつらつと活躍するW.A.モーツァルト(27)がウィーンで作曲した4曲のソナタをお楽しみください。どれも1783年(日本は江戸時代。浅間山が噴火し、東北地方が天明の大飢饉に襲われた年)に創作されました。それまで鍵盤楽器界に君臨していたチェンバロの牙城から解き放たれたニューフェイス、フォルテピアノの性能を縦横に駆使し、指先のタッチでコントロールできる音量の変化を楽しみながら、モーツァルトは「音楽表現の限界」に挑戦していたに違いありません。
2曲目に演奏される有名なイ長調のソナタは、従来は1778年頃にパリで作曲された、と思われていました。しかしモーツァルトが記譜に使った五線紙の透かし模様や筆跡の研究を通じ、その後ウィーンで成立したことが明らかになったのです。1783年はハプスブルク帝国が首都ウィーンに襲来したトルコ軍にからくも勝利した年からちょうど100年めにあたり、さまざまなイベントが開催されました。第3楽章が〈トルコ風〉なのも、こうしたトレンドに敏感だったモーツァルトによるうけ狙いでしょう。1782年に創作されたオペラ《後宮からの誘拐》の舞台がトルコのハーレムなのも、同じ理由からだと思われます。
また作曲されてからほぼ230年を経た2014年、この作品の自筆譜の断片がハンガリーの図書館所蔵の未整理資料の中から偶然発見され、大センセーションを巻き起こしました。今まで弾かれてきたバージョンとの相違が複数箇所にあったのです。普通に聴いているとやり過ごしてしまいそうな違いでも、ピアニストやピアノの先生にとってはかなりのショックです。本日はこの新バージョンを演奏します。
モーツァルトのイメージとは「古典派の時代に活躍した天才寵児」あたりでしょうか。作品も今の時代からふり返れば典型的な「古典作品」であり、「そうか、文化的にはまだ発展途上なのだね。昔の人だから、情緒の表現も今ひとつ」と決めつけがちです。
いやいや、ここに大きな誤解があるのです。
まず、バロック、古典派、ロマン派であろうと、それ以降の世紀末に至る時代であろうと、すべての文化──音楽も然り──には「人間」が関わっています。時代は違っても「人間の感情の振幅」は同じ。嬉しかったら笑顔になり、悲しかったら涙がにじみ、失恋したら心がふさぐ──どんな時代でも不変です。ときおり(しばしば?)バッハの作品が、感動の起伏が少ない無表情な響きで演奏されるのを耳にすることがありますが、はき違えてはいけません。バッハはすごい熱血漢だったのですから!
もちろん、人の心を表現する楽曲のスタイルと語法は違いました。しかし原動力となる「感情」はどの時代も同じで、時空を超えて共有できるのです。万葉集の和歌に込められた心情は、私たち現代人には解説つきでないと届きませんが、理解さえできればその切実さが身にしみるのと同じです。
モーツァルトの作品には、その後の時代と比較して「音符の数が少ない」という特徴があります。でも「だから感激も少ない」のではなく、厳選された音符ひとつひとつに深い心情が委ねられているのです。ショパンだったら6個、スクリャービンやラフマニノフだったら12個の音符を使って表現しただろう「想い」が、モーツァルトの場合はたった2個の音符に凝縮されている、と言えばわかりやすいでしょうか。
また、モーツァルトのピアノ作品の多くは、作家本人の自作自演による自己主張のために創作されました。創作と演奏が分業化された現代とは根本的に違うのです。今日でいう「シンガーソングライター」的存在ですね。「僕はすごいんだ」「こんなアイデア、他の誰にも思いつかないぞ」「こんなにきれいなメロディー、耳にしたことないでしょう」とアピールするための、意外性に満ちた前衛的な現代作品でした。聴く人も胸躍らせて「次はどうなるんだろう」と、わくわくしながら耳を傾けていたことでしょう。録音などはなかった時代ですから、新作の鑑賞は生で一回限り。「今しかない」という、新鮮で貴重なものでした。ビビッドでスリリングな体験だったのです。
そんなわけで、私も「古典派作品の由緒正しい規範演奏」というような、整っているけれども新鮮味に乏しい演奏から脱却し、より大きく自由な表現をめざしたい、と願いながら演奏します。ただ、言うは易し。とりわけモーツァルトではそれが一筋縄ではいかない、むずかしい、と、古今東西誰もが例外なく悩んできました。克服すべきは「緊張感」です。さて、どうなるか…。
一音一音を大切に、ベストをつくします。ご期待下さい!
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ああ…
立ち直れないかも、です。
情けない。。。。
「魔が差す」って、あるのですね。
フィッシングサイトにはまってしまいました。詐欺サイト、ちゅうやつです。
あれだけ気をつけていたのに。
年はとっても自分だけは大丈夫、って信じてたのに…。
JRの乗車券を購入する「えきねっと」のサイトでひっかかりました。
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メールが来ました。自動退会の案内メールです。
迷惑メールフォルダに入っていたので、この時点で「ん?」と疑うべきでした。
「えきねっと」は2022年3月02日にサービスをリニューアルいたしました。 (中略)2年以上ログインしていないお客さまで、今後も「えきねっと」をご利用いただける場合は、2022年3月22日よりも前に、一度ログイン操作をお願いいたします。
「そういえばしばらく使ってなかったな」と思い、リンクを開いてしまいました。
(落ち着いて考えてみれば、ウィルスサイトのリンクでなくて幸いでした←おそらく、ですが)
まずはログイン画面。「いかにも本物」というページが開きます。
名前や住所などの個人情報を入力させられたのですが、
ここでも「すでに会員なのに何でまた入力?」と疑うべきでした。
ここまで無防備になってしまった理由は、あります。
「ちょうどいい、これを機会に支払方法を変更しておこう」と思ったこと。
今まではふつうのクレジットカードを登録していました。
でも、カード払いは基本的に嫌いなのです。
すぐ精算されないし(だからカードがいい、という方も多々おられますが…)、
明細が来た頃には「これ、何だっけ」と、記憶があいまいなものが出てきます。
そこから脱却するために、デビットカードを作ったのです。
数日前に届いたばかり、ピッカピカのデビットカード。
「使ってみたいな〜」と思ってました。
で、入力してしまったのです。
カード情報、それも3桁のセキュリティーコードまで。
バカですね〜。ほんとに救えないバカ。自分でもそう思います。穴があったら入りたい。
あり得ないことをしてしまったアホンダラ。ふぬけ。パータレ。救いようがありません。
でも、情報を送った瞬間に気づきました。
あれ、これ、もしや??
ドキドキしながらメールを再確認。
何と、発信者のアドレスの末尾には .cn とあるじゃないですか。
チャイナ発。正真正銘の詐欺メール以外の何ものでもありません。
普段の私なら、真っ先に削除していたメールです。
本文を読み直してみると、やはり何となく不自然。
でも、すべては自分の過ちでした。
すぐカード会社に連絡し、カードは即停止。新品だったのに…。
えきねっとサイトのパスワードも変更しました。
即対応できただけが不幸中の幸い。経済的な実害は生じないと思いますが、
メールアドレス記入しちゃったからカモリストに入ったかも、ね。
あ〜〜〜〜 やってらんないぃ。
皆様もお気をつけ下さい。
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ところで、新参のワンコたち(だい&はな)はだいぶ大きくなりました。元気にしています。
ついでにご報告を。
来たばかり、まだ生後3ヶ月の頃。
シャワーしてもらいます。
ごはんが待ちきれなくてジャンプ!
背中にとび乗るのが大好きです。
カヤニカままはトイレシートの補充中、かやにかパパは腕立て伏せのトレーニング中。
薄くなりつつある私の髪の毛をむしろうとします。コラッ
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先日宇都宮に行ってきました。
私はしばらく前から宇都宮短期大学の客員教授ということになっておりまして、
そこの音楽科主催のイベントとして年に4回ほど公開講座を担当しています。
今年度は「楽譜シリーズ」という講座シリーズを開催しました。
「モーツァルトの楽譜」「ベートーヴェンの楽譜」「バッハの楽譜」
そして最終回の今回が「ショパンの楽譜」。
中高時代からの友人である須賀英之先生が学長なので、
とてもなごやかで、宿も食事もゴージャス、いつ行っても幸せになります。
また、事前に学内でPCR検査をしてもらえるのも、大きな安心材料です。
附属高校の一室に検査用のスペースがあります。
須賀学長と私との交遊は中学校以来ですが、
カヤニカままとのつながりは、何と、もっとご幼少の頃からなのだそうです。
お互いの母親同士が仲良かったらしい。
それはそうと、このところのコロナ・オミクロン株の急増で、
須賀学長率いる学校法人でも対応にてんやわんやだとのこと。
先生たちはまめに検査して授業に臨んでいますが、
生徒・学生たちの検査も急増しているそうです。
そんな事情からPCR検査機器の稼働が限界を越えてしまい、
いつもどおりに動かなくなったそうです。
私の検体からの結果が出ない、という事態になってしまいました。
でもさすがの須賀学長。
じゃ、とりあえずこれでチェックして下さい
と手渡されたのが、現在品不足になっている抗原検査キット。
ネット上に詳しいガイドがでているとのことで
動画を見ながらおそるおそるやってみました。
くしゃみを連発。
https://www.tauns.co.jp/news/covid-19/
結果は陰性!
めでたい!
Tのところにもう1本線が表示されたらアウトです。
これで晴れて学生たちと交流できます。
講座もできます。
お仕事のあとは絶品のお寿司。
栃木県には海がありません。
でもこのお寿司屋さん「丸萬寿司」は最高!
小さなお店で、予約がなかなかとれません。
9月に行きたかったのに果たせず、ようやく今回、望みがかないました。
待っただけの甲斐があった、絶品のお料理でした!
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大学院でのいとしい教え子(実技指導はできなかったので“準”教え子)の紹介で、
カヤニカままと連れだって、味噌造りを体験しました。
さてさて、何がどうだったのか、写真を交えてご紹介しましょう。
会場はここ。東京は池袋の一角にある、ほっとする和風の空間です。
中央に積まれているのは「白米こうじ」。
ちょっとほじってみたら、蒸したお米が見えました。
味見してみると、やわらかい甘みが感じられます。
これをへらでこそげ落とします。ひとり5枚が標準量でした。
量を増やすと味噌が甘くなるそうです。
手で揉んでほぐしたあと、塩を仕込みます。
師匠の深野氏が、要所要所でていねいに指導して下さいます。
次は味噌の本体、大豆の処理。
やわらかくふかし、人肌の温度まで落ち着いたものを、手と手のひらを使ってつぶします。
量が多い場合は足で踏むこともあり、だそうです。
つぶつぶをどのぐらい残すかで、完成した味噌の雰囲気が変わります。
カヤニカままの好みは「つぶつぶが嬉しい」だそうです。
つまみ食いしてみたら、ふっくらとした、甘みがやさしい大豆でした。
これを手でつぶし、こねて、こねて、ペースト状に仕立てるのですが、
「○ソ○ソ一緒」とは良くぞ言った、という実感あり。
(次回の潜血反応用に使えそう。硬さと言い、温度と言い、まさに! でありまっする)
それに少量の水を足し、準備してあったこうじと混ぜ合わせます。
一体になったら、それを少しずつ熟成用の樽に詰めていきます。
空気を入れないようギュッギュッと密に詰め込むのがポイント。
最後にヘラで表面を整えて準備完了。
そして表面にビニールシートを貼りつけ、落とし蓋を置き、
1キロちょいの重しをして放置します。
冷暗所に保管し、カビがはえないように見張るだけ。ただただ熟成を待つしかありません。
これが味噌になるのは今年の秋頃とのこと。どんな味わいになるのかなあ…。
事後、こんなショットが送られて来ました。
確かに、久しぶりの夫婦協力作業だったなあ。
カヤニカまま、ありがとう!
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日々の掃除を手伝いたい!
と声高らかに宣言しました。
え? 今までやってなかったの??
と後ろ指を指されそうですが、やってなかったのです。
私のは「四角い部屋を丸く掃く」方式のため、
やってもらっても中途半端で無駄。
役に立たない。邪魔。
かえってメイワク。やめて。
と言われていました(汗)
たとえその程度でも、やらないよりはマシ、と思うのですがね(ブツブツ…)
カヤニカままは動物が大好きなのに、
動物の被毛アレルギーがあります。
とりわけ猫がダメ。
だからうちのお子たちはみなツルリンコの短毛犬なのです。
それでもマメなお掃除は欠かせません。
しか〜し!
このたび掃除をやりたくなるようなアイテムを購入しました。
スチームモップです。
これで掃除用具三兄弟が勢揃いしました。
私の担当は床の清掃です。
「愛とは厳しさ」というカヤニカままの指導のもと
1)まずモップでホコリを拭いてまわる
2)次に掃除機で吸い取る
3)仕上げにスチームモップで雑巾がけ
というスキルをを身につけつつあります。
掃除機は充電池が息絶える前にカタをつけなければならないし、
スチームモップはけっこう重くて力が必要です。
ビリーズ・ブートキャンプ並み、とは言いませんが
朝食後の運動として、今のところは楽しんでます。
が、問題は、
長続きするか?
というところですね。
さもありなん…。
まだ2回こなしただけですから。。。
次回は明後日??
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かやにかパパの住んでいる自治体には「ゆげ爺」というジサマがいます。
このジサマの恩恵で、
自治体の浴場組合に加盟してる銭湯に
高齢者は毎月4回タダで行けるのです。
かく言う私も立派な高齢者。
カヤニカままは銭湯ファンではないので利用券を融通してもらい、
なりすましで月4+4=8回、大きなお風呂に通っています。
自宅のバスルームもリフォームずみで気持ち良いのですが、
やはり大きな湯船につかるのは格別です。
疑似露天風呂や本格サウナもあるし。
サウナだけは有料ですけどね。
ただ、このコロナ禍の日常、究極の無防備で他人と接触するのは
ちょっと不安ではあります。
大晦日はむっちゃ混んでましたし…。
新年三が日は休業だったので初日の4日に行ったところ、
お年賀の品を頂戴しました。
何かと思ったら、石鹸です。
付属品が同封されていました。
説明書通りに仕上げてみると…
見事、干支の虎になりました、とさ。
かなりの香料が入った石鹸なので、
ワンコのトイレトレーの近くに飾ってあります。
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雲ひとつない晴天を見上げながら神社に行ってきました。今年はどんな年になるのかなあ。まずは健康。がんばります!皆様のご多幸をお祈りしております。
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2021年も今日で最後で、ばたばたと過ごしています。
いかがお過ごしですか?
現在配信中の《シューベルトの緩徐楽章》のプロデューサーの坂田さんがこんなブログを書いてくださいました。演奏者としてはなんだか「こそばゆい」感じがしてしまいます。一見とっつきにくそうなタイトルですが、演奏中にテロップを活用して「今何が起きているか」を解説していますので、わかりやすいと思います。配信は1月15日まで。お見逃しなく!
この画像↓かURLをクリックしてください。
https://moments-musicaux-kyoto.com/blog/schubert_online_2021-2/
下の画像は本文↑とは関係ありません。
シューベルトは退屈、というのはウソです!
心地よくなるのです〜
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停滞していたかやにかパパのブログ。
何とか活性化しようと、今一度トライしてみることにします。
まずはすべてをデフォルトのまま使います。
今まではフォントを選んだり、サイズを選んだり、写真を前もって加工したり、など
前準備にそれなりの手間をかけてました。
ぜ〜んぶ、なし。とりあえずそのまま書いて、貼って、投稿してみようと思います。
で、再開はじめのトピックはこちら:
家族が増えました。9月5日生まれのだい君とはなちゃんです。かわいいけれど、お世話が大変。てんてこまいしています。クリスマスも正月も、とんでもないことになりそうな予感です。犬種はプラシュスキー・クリサジーク。先代のカーヤ、ニカ、そして今も健在な小太郎と同じです。どうぞよろしく!
相棒のカヤニカままの介護生活は両親と叔母のお世話以来もう15年以上継続し、
いまだにコタちんの介護から目が離せませんが
それに新しく子育てが加わりました。
ふたりでがんばります!
向かって左がだい君、右がはなちゃんです。
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ブログの更新が滞っています。
申しわけありません。
カヤニカままには
「構えすぎるからいけないのよ」
と諭されています。
Facebookにはたま〜に投稿しています。
ほんと、「たま〜に」ですが、このブログよりは少しましかもしれません。
友達申請していただければ対応いたします。
ただ、その際に簡単なメッセージをいただけると幸いです。
「打出の小槌」はまだ閉めません。
でも、しばらく お、や、す、み、とさせてください。
何か追加した際にはFBにも掲載します。
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眼鏡が増えすぎました。
眼鏡が嫌いではないのですが、もう限界。
私が日々常用している眼鏡はこんなにあります。
ぎゃひ〜。これ以外にもサングラス、トイレにも置き眼鏡があります。
一番上のは「遠くを見るため(遠〜中)」のもの。
外出や車の運転の時にはこれを使用します。
なしでも同じぐらい見えるのですが、乱視の補正が入っているので
疲れてくるとこの眼鏡を使った方が楽になります。
眼鏡なしで生活していて一番クヤシイのはこれ↓
今食べている自分のごはんに焦点が合わない
焼き魚の小骨とか、よく見えません。
というわけで、二番目の黒枠眼鏡は主に室内で使う「中〜近」のやつ。
「自分の茶碗からあっちのテレビまで焦点が合う」仕様です。
その下のふたつ並んでいる眼鏡は、仕事用の単焦点のものです。
ピアノを弾いている時の楽譜に焦点が合うようになっています。
デスクトップのパソコンを使うときも、これが一番楽です。
仕事用だけに、万が一壊れても困らないよう、
ふたつ同じ度数のものを持っているのです。
一番下のは読書用の「近〜近」眼鏡。
「プリズムを目一杯入れた仕様」になっているので、
食卓に広げた新聞を読むのも楽で、気に入っています。
そして右にあるのは、クリック・リーダーという首掛け老眼鏡。
鼻のところが磁石になっていて、パカッと分離します。なかなか便利です!
老眼サポートとしてはハズキルーペも持っています。
これもまたオススメです。迷うぐらいなら買ってもいいかも、という感じ。
仕事で出張する時は、これらを全部持っていかなければなりません。
いちばんつらいのは、公開講座の時です。
楽譜、台本、スクリーン、ホワイトボードなど
いろいろな距離に置かれているものを、できれば全部はっきり見たい!
でも、いちいち眼鏡をとりかえている暇はありません。
これが私の講座のスタンダードセッティングです。
お年頃になって老眼が刻々と進行する時期にもさしかかり、
眼鏡を新調しても、すぐ次のが欲しくなります。
眼鏡に対する今までの累積投資は、かなりの額になっているに違いない。
やってらんない、もう、いやじゃ〜!
というわけで、一大決心をしました。
目の手術です。
加齢による白内障も少しずつ進行しているようです。
日常生活に支障を来たすほどではありませんが、それなりに。
白内障の手術にかこつけて、多焦点の眼内レンズを入れちゃおう、というわけ。
いろいろ情報を集めてみたところ、かなり良さそうで、
手術後に眼鏡が不要になった人も多々おられるようです。
高性能の多焦点レンズは保険適用外なので、コストがかかります。
えっ
というぐらいです。
いくらぐらい、って気になりますよね…。
レンズの種類、そしてどの病院でやってもらうかによって異なりますが
ぶっちゃけ、手術代込みで100万円前後(両眼)です。
ピアノか軽自動車が買えちゃいそうですな…。
(最近は保険治療での手術も承認されましたが、使える眼内レンズの種類に制限があります)
それだけ投資するからには、少しでも早くやって長くその恩恵にあずかりたい、
ヨイヨイ、ヨボヨボの爺様になってからじゃあ、モトを取れないっ!
というところで「清水寺の舞台から飛び降りる」決心をしました。
手術は片目ずつ。日帰りの手術で、すぐ終わるそうです。
その手術、いよいよです。
ビビリのパパにはカヤニカままさんが付き添ってくれるそうです。
やさしいなあ。ありがとう。
(実はカヤニカままも同じ手術を目論んでいるようで、その偵察のためらしい)
視力がすっかり落ち着くまで、数ヶ月かかるそうです。
吉報をお届けできる日が早く来ますように!
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昨年末頃からでしょうか、首の不調を感じるようになりました。
朝起きるとすごく凝っていて、痛い。
イビキ防止用のマウスピースをガシ〜と噛みしめてるから凝るのか、とか
寝る姿勢が奔放すぎるのか、と思いつつも
これといった解決策は見つかりませんでした。
しかしあまりにきつかったので、
別件でお世話になっていた首から上の疾患の専門医に相談しました。
う〜ん、姿勢悪いですね。診察椅子に座るときからして背中が丸い。
もっと胸はってエラそうにしてなきゃダメです。
と言われちゃいました。
それでもレントゲンとかMRIとか一通り調べて下さった上で
ストレートネックっぽい
との診断。いわゆるスマホ首。
うつむいた姿勢を続けることによって、
本来あるべき首の骨のカーブが失われてしまう症状です。
パソコンの見過ぎ、スマホの見過ぎ、ゲームのやり過ぎなどで
最近これに悩む人が急増しているとのこと。
放置するとさまざまな症状が出てきて、鬱の原因にもなってしまうそうです。
詳細を書き始めると長くなってしまうのでやめておきますが、
枕が悪いのかも!
ということでいろいろ試し始めたら、止まらなくなりました〜
バスタオルを丸めたものぐらいでスタートした当時はコストもかからず、
お財布にも負担はなかったのですが、
その後段々とエスカレートすることに…。
困ったもんです。
あ〜、どこかに理想の枕はないのかなあ!
いつも行く河口湖のホテルの枕がとても気持ち良かったので
無理を言ってひとつ売ってもらいました。ま、普通の枕ですがね。
何の変哲もない普通の枕。でも気持ちいいです。
睡眠中にすごく首をすくめ
首と肩にむちゃくちゃ力がはいっているのに気がついて、
これ↓も試してみました。
むち打ちになったときにつけるようなサポーターです。
でも、起きている時はまだしも、睡眠中は不快なだけ。眠れません。
ネット上のクチコミも悪くなかったのですが、ダメでした。
某有名百貨店の枕アドバイザーに助言してもらいながら、
けっこうお高い枕もゲットしました。
中央が薄く、ここは仰向けに寝るときに使う。
両側は高く、これは横向きに寝るときに使う。
厚さは自分で調整できます。
部位によって厚さを変えられます。使用するときはもちろんカバーをつけます。
プラスチックパイプの小片で厚さを調整するのです。
でもなあ、値段のわりにはいまひとつ。
コンセプトとしては悪くないと思ったのですがね…。
マツコ・デラックスの広告に惑わされ、
こんな枕にも転んでしまいました。
だそうです!
ベッドに乗せると端から端まで。
うんちくはもっともらしいのですが…。
そうだなあ…、う〜む。
仕事先のホテルの枕が厚すぎたのでフロントで相談したところ
バスタオル2枚にリネン(枕カバー)のセットをご準備できます!
とのことで、さっそくお借りし、試しました。
左側のはスタンダードの枕。右が「えせ枕」。
袋の中にバスタオルを入れるのです。
タオルに始まり、タオルで終わる。
なんだ、結局一周しただけじゃないか…。
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新型コロナによる日常への影響は計り知れません。
何とかしてくれ〜
と叫んでも先が読めず、不安になるばかりです。
飲食店のみならず、音楽家も思うように活動ができず、困惑するばかり。
政治がなっちょらん!
…で、こんな本を読みました。
岡田暁生『音楽の危機』(中公新書2606、2020年)
コロナ禍の日常では敬遠されている「三密」があってこそ
音楽は発展してきたのだなあ、ということが、よくわかります。
コンサート会場で聴く生の音が何よりも魅力的なのは当然です。
「オンラインコンサート」の存在はもちろん知っていますし、視聴もしました。
でも、今ひとつのめりこめない自分を感じます。
しかし、そんな甘っちょろいことは、もう言っていられません。
オンラインコンサートを企画、作成、そして有料公開することに。
ラッキーなことに京都の
ピアノサロン ミューズの微笑み
サロンのサイト:イラストをクリックして下さい
↓
の主宰者が全面的にサポートして下さり、私の背中を押してくれました。
このサロン、実は、私が以前愛用していたピアノを
嫁入りさせたところでもあります。
収録もここで行いました。
配信コンサートの詳細はこちらです。私からのビデオレターにもアクセスできます。
重要情報!:イラストをクリックして下さい
↓
視聴は有料なので(申しわけありません!)、
のライブ動画配信サービスサイトから
配信チケットをゲットする必要があります。
視聴チケットの販売は1月30日10時から3月6日22時まで。
コンサート配信は2月25日10時から3月6日24時まで。
インターネットを使っての配信で、期間中は何回でも視聴できます。
慣れていないと、このチケット入手の手順に悩んでしまいそう。
チケットとは言うものの、紙のチケットが送られてくるのではありません。
申し込むと
2月25日以降になったらここにアクセスして下さいね
というアドレス(URL)がメールで届きます。
期日になったらそれをパソコン、スマホ、タブレットなどで利用するのです。
私自身はすでに何回か経験したので、ようやく不安はなくなりましたが、
それでも最初の時はかなり緊張しました。
というわけで、事前にいくつかの情報をお知らせしておきましょう。
(ビギナー向き情報です。慣れている方は読み飛ばして下さい。)
----------------------
まず、“ぴあ”のサイトにアクセスすると、
初回は自分の個人情報を登録しないとなりません。
私もぴあのサイトは未登録なのでのぞいてみたところ、
・IDは自分のメールアドレス
・パスワードは半角英数文字で6〜16文字
・その後に入力しなければならない個人情報はごく一般的なもの
になっていました。
え〜、こんなことまでさらさないとダメなのかっ
みたいな不審な項目はありません。
強いて言えば生年月日でしょうか。でも「月日」は省略できるかもしれません。
自宅の住所入力は不要です。ただし電話番号は入力させられます。
どうしても抵抗感があるならば、偽の番号を入力、という禁じ手もありますが、
わざわざ「使える番号を入力するように」とのダメ押しもありますし、
ぴあのサイトならば正直に登録しても大丈夫そうに思います。
最後に「会員規約、 プライバシーポリシーに同意する」というところの□を
チェックして下さい。そうしないと次のページに行けません。
もうひとつのハードルは決済方法、つまりお支払いですが、
クレジットカード以外にコンビニ支払い(セブンイレブン)が可能です。
220円の手数料追加になりますが、クレジットカードを登録するのが心配な方は
こちらをご利用下さい。
支払いが完了すると、メールが送られてきます。
かく言う私も、多少の手数料がかかろうと、
amazonのように常用しているお買い物サイト以外では
可能な限りはコンビニ払いを利用しています。
そりゃカード払いにすれば簡単ではありますが、
万が一カード情報が漏洩してしまった場合の心配はつきませんからね。
----------------------
コンサート会場で生の音を聴いていただく機会は
残念ながらここしばらく得られそうにありませんので、
せめてこの企画を通じてみなさまに私の演奏を聴いていただければ幸いです!
演奏だけでなく、トーク、そしてテロップなども駆使して、
オンラインならではの楽しみ方を工夫してみました。
応援を(=チケット、買ってちょ〜だいぃ)よろしくお願い致します。
アクセスは、こちら(クリックして下さい)↓
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またまたご無沙汰してしまいました。
ブログをまめに更新する、って難しい。
ワンコのブログをたゆまず継続している
相棒のカヤニカままの持続力と文才には頭が下がります。
今となっては今年をふり返ってつじつまを合わせるので精一杯。
私にとっての2020年は激動と激変の年でした。
一番の節目は定年退職し、毎日の生活パターンが根底からくつがえったこと。
あわせて「毎月給料が振り込まれるって何と幸せなことだったか」と実感。
サラリーマンではなかったので、それまでも自宅にいる時間は長い方でしたが、
今まで以上に「三度のメシを自宅で食べる」パターンになりました。
カヤニカままにとってはとんでもない負担増。
恒例の夢のクリスマスディナーでした。今年は果たして…?
対処方策として立ち上げた「家事の分担」にも
自分としては前向きに取り組んでいるつもりですが、
理想と現実の間には大きなへだたりがあり、怒られっぱなしです。
いまだに日々の家庭争議の源泉で、四苦八苦。
そんなところにふりかかってきたのが、新型コロナの大騒動。
大学での授業はなくて幸い、
フリーランスの仕事はまだまだ目白押し
とたかをくくっていた生活設計が一変しました。
キャンセルにつぐキャンセルでは生活の展望が描けません。
世の中すべての方が同じ思いをしていたわけですが…。
カヤニカままとの朝は毎日同じ会話で始まります。
カヤニカ家の朝食はセルフサービス方式ですが、食卓では
「今日のお昼は何を食べたいの?」
「で、夜はどうするのさ」
が回避不可能かつ重要・切実な質問。
「何でもいいよ」
は禁句です。かならず希望を述べなければなりません。
でもその希望がそのまま受理される保証はありません。
冷蔵庫と冷凍庫の中身にも配慮が必要ですからね。
食卓をはさんで、雰囲気が険悪になることも…。
そんな時にいつもかすがいになってくれたのが、わが家のワンコ3匹。
4年前の写真です。緑が小太郎、青がカーヤ、ピンクがオニカ
でも長男犬のカーヤは腎臓疾患、
そして長女犬のオニカ(ニカ)も腎臓疾患にくわえて認知症となり、
毎日のケアが欠かせません。
そのケアをほぼ一手に引き受けていたカヤニカままは
睡眠不足で疲労困憊の極地に。
それでもワンコの存在は「いてくれる」だけで宝物でした。
4月にニカ、そして8月にはカーヤを虹の橋に送り、
残るはニカの息子の小太郎だけに…。
生まれた時から一匹での自立した生活を知らない小太郎にとっては
想像だにしなかった孤独な毎日が始まってしまいました。
どうしたらいいのかわからない
という困惑が表情からありありと読み取れます。
「てへへ、困ったな〜」でもこの頃はまだ天真爛漫な甘えん坊でした
すべてに意欲をなくし、元気を失った小太郎。
そんな小太郎を思いやっていた矢先、
この子も腎臓に病を抱えていることが判明しました。
今では毎日自宅で点滴をしています。長生きしてほしいです。
それでも少しずつ日々の生活パターンが安定してきたように感じられます。
「こんなこともあった」「あんなこともあった」
と愚痴をこぼし始めたらきりがありません。でも今年に限っては
「こんな良いこともあった」「あんな素敵なこともあった」
とほっこりできないのが残念です。
カヤニカままの母親もカーヤを見送って間もなく亡くなりました。
喪中なので年末年始はひっそりと過ごします。
皆様におかれましては、どうか健やかな年をお迎えください。
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わが家の大黒柱として家庭内の平和を保ってくれていたカーヤが
昨晩、8月31日の夜に虹の橋を渡りました。
8月26日のカーヤ
2004年3月23日生まれですから、16年と5ヶ月がんばってくれました。
プラシュスキー・クリサジークというチェコ産のめずらしい犬種です。
2004年5月17日に岐阜のブリーダーのところで初対面しました。
(実は大学の授業日だったのですが、ずる休み←すでに時効ですよね?)
翌月の17日に正式に迎えに行き、以来、かやにか家のメンバーとなりました!
カヤニカままとかやにかパパのかすがいとして、
いつも私たちのそばにいてくれた、かけがいのない存在でした。
その後オニカ(ニカちゃん)が加わり、
ニカです!
小太郎を生んでくれ
(パパはカーヤではありませんが、不倫の子ではありません)
べつに酔ってるわけではありましぇん…(小太郎)
夫婦にワンコ3匹の楽しい生活が続きました。
中央がカーヤ、向かって左がニカ、そしてコタ(小太郎)
その中のニカも4ヶ月前、4月27日に虹の橋を渡り、
小太郎もとうとうひとりぼっちになってしまいました。
その分、今までは分散していた愛情を一手に引き受けることになります。
幸せに暮らしていこうぜ!
いつかまたみんな一緒になれるのだからね。
お別れの日の詳細は、カヤニカままのブログを参照してください。
カーヤの闘病記、そしてその後の小太郎王国のようすはこちら
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暑い日が続いています。
お変わりありませんか。
ドイツに音楽留学して、修了時に演奏家資格試験を受けた人へのお得な情報です。
Konzertexamenというやつのこと。
私も知りませんでした。
だから、同僚や先生方、そして現在進行形で切磋琢磨している若者たちに伝えておきたいのです。
関係ない方にはちっともおもしろくもおかしくもないトピックですので、読み飛ばしてください。
私が受験した時に在籍していたドイツの音大(エッセンのフォルクヴァング大学)
----------------
まず結論からまとめると、
演奏家資格試験によってドイツの教育機関が認定する演奏家資格とは、
学位としては音楽学博士と同じ扱いになるのだそうです!
ぶっちゃけ、博士号を名乗っていいんですと!
ま、「イマイ博士のピアノリサイタル」
みたいに銘打ってしまうと輝きが半減しそうで、
演奏活動の役にはあまり役立ちそうにありません。
でも、これからの就職活動のための履歴書を整える際、学位の欄に
ドイツ国家演奏家資格(音楽学博士相当)取得
と書くことが許されるのならば、これは大きい。
そして、決して経歴詐称にはあたらないのです。
そのリソースを紹介しておきましょう。ネット上で閲覧できます。
心配な方は確認して下さい。
根拠となるのは2015年6月26日に東京で締結された、ドイツ大学学長会議(HRK)と、日本の一般社団法人国立大学協会(JANU)、同法人公立大学協会(JAPU)、日本私立大学団体連合会(FJPCUA)との間における正式な協定です。
うしろのほう、APPENDIX 1の最後に書かれていることがそれなのですが、原文はこちら。
(4) The German qualification Konzertexamen or the status of Meisterschüler/in awarded after the completion of advanced studies in a field of music or the arts, or equivalent qualifications, should be considered as equivalent to the degree “Doctor of Musical Art” and “Doctor of Arts”, respectively, with regard to relevant professional work as well as qualification for teaching the subject.
日本私立大学団体連合会が公開している邦訳をご紹介しましょう。
8ページに記載されています。
(4) ドイツにおける、音楽もしくは芸術の分野での上級課程修了後のKonzertexamen(国家演奏家資格試験)又はMeisterschüler(マイスターシューラー)の地位又は同等の地位 は、専門的職業やその科目を教える資格に関連して、それぞれDoctor of Musical Arts(音楽学博士)並びにDoctor of Arts(学術博士)の学位と同等とみなされるものとする。
https://shidaikyo.or.jp/apuji/activity/pdf/j_g201506026_j%20.pdf
ことのついでにドイツのディプロマ(修了試験)が修士として認定されることも追記しておきましょう。博士号規定の直前に記載されています。
(3) The German qualification Diplom awarded by a university or an equivalent higher education institution in a field of music or the arts should be considered as equivalent to the degree “Master of Arts”.
(3) ドイツにおける、音楽もしくは芸術の分野における大学又は同等の高等教育機関によって授与される学位Diplom(ディプロム)は、Master of Arts(学術修士)の学位と同等とみなされるものとする。
お騒がせしました。
皆様のお役に立つようならば嬉しいです!
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不順な天候が続いています。
九州地方はたいへんなことになってしまいました。
どれほど大変な思いをしておられるか、と考えると
どんな言葉も虚しく響き、自分の無力を思い知らされます。
東京では新型コロナの感染者、それも若い人たちの数が激増し
何ともはや、どうして良いかわからない状況です。
でも手をこまねいているだけでは前進できません。
これから来るに違いない猛暑、そして
ようやく動き始めた音楽活動の現場で使えるグッズを準備しました。
まずはこれ。
男性用の日傘と携帯用扇風機。
生まれて初めての日傘です。ちょっとめんどうですが、確かに涼しい。
柄はとってもお洒落です。カヤニカままが選んでネットで注文してくれました。
裏側は100%光を通さないスグレモノ。
「傘の袋をなくすなよ」とのダメ押しつきでありました。
確かに、なくしそう…。
男性用の日傘はごく最近になってからのトレンドですが、
ソーシャルディスタンスを保つためにも役立ちそうです。
扇風機の方は折りたたんで卓上でも使えるし、ワンコも涼めます。
そうそう、多少の雨なら大丈夫、というハイブリッド日傘も入手しました。
これまたカヤニカままのお手柄です。どうもありがとう。
開く時はもちろん、畳む時もボタンを押すと自動で畳めます。
ただ、ザンザン降りの雨はNGらしい。ちょっとにわか雨、ぐらいなら大丈夫?
外側と内側で生地が違うのがわかります。
さて、お次は新型コロナ対策です。
講座やレッスンをする時、今まではマスクを使っていましたが息苦しいし、
表情が見えません。
そこで登場するのがフェイスシールド。
縁あって客員教授を務めている宇都宮短期大学からの支給品はこれ。
ゴムの長さを調節できるので便利です。日本製の細やかさ、ですね。
ついでに簡単に体温を測れるピストル型検温器もいただいちゃいました
愛用しています!
最近ドラッグストアなどでも見かけるようになったこちらの商品↓には
ひとつ問題が…。
そのままではちょっと見づらいのでどうしたものかと思案していたところ
使用前には内側の保護フィルムをはがして下さい
との指示がありました。
はがれやすい部分を見つけるまでちょっと苦労しましたが、何とか完了〜
と思いきや、とんでもないことに。
おでこのところに当たるスポンジがこの保護フィルムの上に貼りつけてあるので
フィルムをはがすと、なんとスポンジまでとれてしまうのです。
フィルムは透明になっても、これでは使えません。
役立たずっ!
両面テープでスポンジを貼りなおしました。
これ、おそらく日本製ではないのだろうなあ…。
まだあります!
私のお気に入りはマウスシールド。
一番楽です。
こちらにも保護フィルムが貼ってありますが、
視界とは無関係だからそのままでもいいかもしれませんね。
それやこれやで準備万端、防御態勢を整えました。
あとは仕事がくるのを待つばかりです。
みなさまはいかがお過ごしですか?
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今年はベートーヴェンの生誕250年となる記念の年。
賞味期限が切れないうちに、とベートーヴェン講座の準備を進め、
それなりにスケジュールも埋まっていたのですが、
そこに降って湧いたのが新型コロナの大騒動。
すべてが停滞しています…(涙)
Stay home要請を利用して、話のネタを増やしておこう
と思ってネット検索していたら
何と、私が30年以上前に公開した文章から、
かなりの部分が無断掲載されているサイトに遭遇してしまいました!
という団体によって運営されている
というサイトのトップページ一番下にはこまごまと
ベートーヴェンについての豆知識サイトです。ベートーヴェンの家族や容姿、青年期や作風についてなどの情報を掲載しています。
copyright(c)2015 ベートーヴェンの音楽〜Beethoven人生の歴史 All Rights Reserved.
当サイトに掲載されているすべての文章、画像、図版を当サイト管理者並びに制作者に無断で使用・転載することは法律で禁じられています。
とあります。
さらに「リンクについて」というバナーをクリックすると
「ベートーヴェンの音楽〜Beethoven人生の歴史」を訪れて頂き、ありがとうございます。当サイトはリンクフリーページです。ご自由にリンクを張っていただいてかまいません。事前事後の連絡も必要ありません。
と案内されています。う〜む。。。
内容全体はまだ精査していませんが、
ベートーヴェンに関する情報自体はわかりやすく、
それなりの量もあります。
でも、誰がまとめて公開したかに関しては
何の情報も掲載されていません。
私の文章が借用されているのはその一部「性格・容姿」のセクションの第2段落「少年の頃から…」〜第20段落「…つめたい地下水をがぶがぶ飲んでいたようです」までです。
いつのまにか公開されてしまったものの、私の拙文の完全なコピペではなく、
トピックの順序や文末の言い回しなどにも、多少の手は入れられていました。
借用(盗用?)元となった私の原稿の初出は
ウィーンの日本人会の会報の付録として毎月連載していた
「音楽雑学帳」
という月刊シリーズ。
たしか1987年のことだったと思います。
1990年に1冊の本としてまとめられました。
その頃はまだ「共産圏」へのビジネス拠点としても重要だったウィーンには
日本からの駐在員がたくさん滞在しておられ(ベルリンの壁の崩壊は1989年)、
社命とは言え、せっかく《音楽の都ウィーン》に暮らしているからには
祖国日本ではチョー縁遠かったオペラも体験し、
ことクラシック音楽に関しても、ちょっとだけ知ったかぶりをできる、
ウィーン通になるための豆知識を提供しよう
という目的で、当時ウィーン国立音大で教えていた私が
一般教養としての月例音楽ガイド
の執筆を受け持つことになったのでした。
これをもとにした原稿は音楽月刊誌『ショパン』の連載
「ウィーンの森の昼と夜」(1988年〜1990年)でも公開され、
その後1冊の本
『音楽の旅 ウィーンのすべて』(東京音楽社、1992年)
としてまとめられました。
これがその「別冊」です。写真も自分で撮影したものがほとんどです。
ベートーヴェンに関するタネ本はウィーンの病理学者ハンス・バンクルと
内科医のハンス・イエッセラーが共同でまとめ、
ヴィルヘルム・マウトリッヒ社から
ベートーヴェンの没後160年のタイミングで上梓された、
カラー写真満載の
『ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンの病気——生涯の病跡と病理』
という本(もちろんドイツ語)でした。
ふむふむ、と読破し、中から興味深い、素人受けするトピックを抜粋し、
それを日本語に訳して紹介したわけで、
今井顕の研究成果をまとめた論文
ではありません。
でも、事前にひと言あれば気持ち良く
どうぞ、どうぞ!
と承諾したに違いないのに、何も連絡がないまま掲載され、
文責の提示がないままリンクフリーにされてしまった、
というのは釈然としません。
ところで、どうしてこれが私の文の盗用だとわかったか?
──それは、恥ずかしながら執筆当時の私の脇の甘さからなのです…。
1995年に日本に完全帰国し、翌年からは大学院での指導にも携わり、
論文の書き方や典拠の提示ルールにも気を使うようになりました。
しかし33年前にまだそのような「研究者としての常識」は身についておらず、
結構テキトーだったところも…。
大いに反省しています。 ←サルでもできる反省とは違います!
キーポイントは、拙文中の
頭蓋骨を観察した限りでは上の前歯がかなり出っ歯だった
というくだりです。
確かにタネ本に掲載されている多数の写真を見る限り、
何となく出っ歯風に見えるアングルもあったので安易に書いてしまったのですが、
医学の専門家に確認したわけではなく、単なる「私的な感想」でしかありません。
学術論文だったら完全にアウトです。
またこのような「ベートーヴェン出っ歯説」を標榜する学説には
いまだ巡り会ったことはありません。
まったく私的なウケ狙い
と評価されても、
ぐうの音もでないのでありますっ。
実は1987年にこの一文を書くときも、書いてしまってからも、
ずっと気になっていたところです。
なのに! これがそのまま引用されている、というのは、
このサイトの匿名執筆者が私の文章をほぼ無批判で流用した、
という証拠にもなるのです。
人間、悪いことはできませんね。
お互い、気をつけましょう。
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辞令が出ました。
就業規則第22条により定年退職とする
というもの。
通常は卒業証書のように大学で理事長か学長より直接受け取るようですが、
今はこのコロナ騒ぎ。
レターパックで郵送されてきました。
ちょっと早いものの、謹んで拝受いたしました。
長い間お世話になりました。ありがとうございます。
奉職した1996年4月以来の給与明細書が捨てずに保管されてあり、
積み上げてみたら15センチ以上の高さになりました。
感無量です。すなおに感謝の念があふれてきます。
来月からはフリーランスの年金生活者になります。
新型コロナのせいで案の定仕事はキャンセル続き。
はやく落ち着いて欲しいです〜!
唯一のメリットは
都知事の要請である Stay at home を律儀に守っていれば、
あと数十時間を残すのみとなった任期中に
セクハラ、パワハラ、モラハラ、飲酒運転、迷惑行為などの不祥事を起こす確率が
限りなく低くなる
ということかな?
この期に及んで退職金を棒に振るわけにはいきませぬっ。
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先日、心臓の手術をしてもらった病院で、恒例の検査がありました。
(手術の顚末はこちら→クリック)
血液をぬかれ、心電図をとり、レントゲン、そしてエコー検査も。
退院直後は毎月、その後は2ヶ月に1回程度のペースで診察を受けていました。
大病院での診察には時間がかかります。
それに加えて循環器(心臓)外科というところは
病棟や救急救命のセクションからの突然の呼び出しによる
緊急手術!
という想定外のことも起きるので、時間が読めません。
その病院通いですが、このたびめでたく
これからは半年に一度のチェックにしましょう。
ということになりました♡
検査結果だけは優等生のようで、
いろいろな患者を診ているが、この年齢でこの手術、
この時点でどの数値にもひとつとして基準値外の星がついていないのは
珍しい。すばらしい。
と妙に誉められてしまいました。
同じようなことは、時を同じくして受診した
人間ドックのお医者さんからも聞いたなあ。
肝臓の数値、完璧ですね! 花丸です。
と、ほんとに花丸を書いてくれました。個人的には
酒を減らした方がいいだろうなあ。
休肝日が大切です、ってみんな言うし…。
と思っているのですが、
その理由がなくなってしまいました。
移植手術によって体内に人工弁が入っているので
治った!
ということにはならないのでしょうが、
大きくひと区切りついたことは事実です。
ほおお、それはホントですかい。
血圧のコントロールなどは今後も必要ですが、
近所のかかりつけ医の処方で対処できます。
よかった!
ただ、私は今回の手術によって公的には身体障害者ということになり、
障害者手帳も交付されました。
鞄にはこんなものをつけています。
でも、これで電車の席を譲ってもらったことはまだないなあ…(ボソッ)
出かける先々で、いろいろな方が声をかけて下さいます。
それに対しては
おー、元気ですよっ! 普通に暮らしてます。
とお答えしていますが、やっぱり体調も
すべてが完璧にもと通り
というわけではありません。
そりゃそうですよね。それで当たり前。
たとえば、両手の外側(小指側)半分に、突然しびれを感じることがあります。
長時間正座していたあとの足の感覚と同じです。
しびれても運動機能への影響はなく、
握力も落ちないのでピアノ演奏は続行できますが、
演奏中に生じると「おお…」とびっくりします。
だいたい数分以内にもとにもどるので、あまり心配はしていません。
ボクちんも心配していませんよ〜。
最初は血流の梗塞か、と心配したのですが、
そうではなく、神経系の不調らしいです。
手術中の上半身は長時間チョー不自然な姿勢で固定されているらしく、
お医者さん曰く、術後によくある愁訴のひとつだとのこと。
左手首が「突き指」ならぬ「突き手首」みたいな感じに重苦しいのは
東洋医学で言う「経絡(けいらく)」の関連らしいです。
整体の先生が教えてくださいました。
違和感を感じる場所がまさに「心臓系の経絡」にあたるところだ、
ということで、こりゃ、ま、仕方ない、ということですな。
演奏に大きな支障はありませんが、無理は禁物のようです。
口内の粘膜が妙に過敏になったり、舌が腫れぼったく感じる日が多いのも、
きっと何かが災いしているのでしょうね。
手術前にはなかった感覚ですが、とりあえず「ろれつ」は回っています。
週〜月単位での変化を感じるので、そのうちなくなるでしょう。
それやこれやですが、
一病息災
ともいわれます。
今が一番若い!
と思って、できることをやっていこう、と思っています。
当面の課題は、カヤニカままへの日常の負担を減らすこと。
今までの自分勝手が身についてしまい、
なかなか思い通りにはいきませんが…(汗)
長かった大学での職場も来月末には定年退職しますし、
新しい生活パターンが本格スタートします。
さて、どうなるか。
新しい人生の試行錯誤が始まった今日この頃です。
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あけましておめでとうございます。
写真左よりニカ(15歳)、カーヤ(もうすぐ16歳)、小太郎(13歳)
昨年は波瀾万丈の一年でした。
中でもかやにかパパの心臓手術は、今までなかった規模の大事件。
詳細はひとつ前のトピックを参照してください。
最愛の妻、カヤニカままには尋常ではない苦労と心労をかけました。
気持ちも体力もぎりぎりだったに違いないのに、それを見せず、
いつも笑顔で支えてくれてありがとう!
突然降って湧いたような叔母の介護と看護も大きなストレスでした。
今後の社会の課題である独居老人。
体調も崩し、自分で生活の管理ができなくなり、住まいはゴミ屋敷状態に…
血縁ではないのにこんな叔母の成年後見人を引き受けてくれたカヤニカままには
どんなに感謝してもしきれないほどの忍耐と負担とを強いてしまいました。
これからの人生で誠心誠意、じっくり恩返しをしていきます。
その叔母も旅立ち、やっとストレスが軽減された、と思ったのも束の間、
カヤニカまま最愛のワンコの年長さん、カーヤの元気がなくなりました。
夜中の発作が心配で、かやにかママは夜も熟睡していないようです。
心労でかやにかママが身体をこわさないか心配です。
一度でいいからぐっすり眠れればいいのになあ。
カヤニカぱぱの睡眠はかやにかママより深いようなので、大丈夫。
でもワンコが
カタン
と音を立てると、一緒に目覚めるようになりました。
小太郎のママ、ニカも顕著な認知症となり、
健康管理に加えての世話がハンパありません。
そんな毎日の中、唯一の癒しは小太郎の存在。
言葉が通じたらいいのになあ。
でも、いろいろバラされるかもな。う〜む。
今年3月にはかやにかパパも定年となるので、
生活のリズムががらりと変わります。
定時出勤の必要がなくなり、年金生活が始まるのです。
年金はとりあえずもらえるものの、
海外滞在中にきちんと積み立てていなかった時期もあり、
ぶちまけた話、
えっ?
というほどしか支給されません。
安定の月給生活から、
突然の自転車操業(=その日暮らし)に切り替わるのです。
頼りとなるのはかやにかパパ本来の生活手段である自由業のフル活動ですが、
これがくだんの心臓手術のため「無理は禁物」。嗚呼。。。
身体が資本の商売ですが、それだけに余計気をつけないと…。
過去をふり返ると反省ばかり。
未来に思いを馳せると心配ばかり。
でも、すてきな、明るいことも必ずあるに違いない!
それを信じて、
今できることを、心を込めてしっかりやるしかありませんね!
皆様にとって本年が素敵な一年となりますよう、祈念しております。
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ご無沙汰しておりましたが、
めでたく復活しました。今、自宅です。
と、突然書いても、何のことか不明ですね…。
先月末より都内の某病院に入院、長時間に及ぶ大きな手術を体験、
ついでにICU(集中治療室)とHCU(高度治療室)にも入り、
身体中たくさんの管につながれる不自由さも味わってきました。
手術後のドヤ顔
点滴の後は生々しく…
* * * * *
実は今年初めより、体調が不安定でした。
具体的には血圧。
家系的にも高血圧の傾向なのですが、
コントロールがままならなくなりました。
それでも富士急ハイランドの絶叫マシーンをエンジョイしていましたが、
今考えると、危なかったかも。。。
最高の気分!
ちょうどその頃、胸郭内に胸腺膿瘍(検査結果は良性)が見つかったり、
高齢となった独居叔母の介護問題が持ち上がったり、
などなど、かなりストレスの多い日々を送っていたので、
そのせいなのかもなあ、と思っていました。
叔母の家。もう自分では片付けられなくなっていました…
胸腺に関しては、この年齢になっても残っていること自体が不自然で、
状況によっては筋無力症を引き起こすこともあるのだそうです。
(今回の手術でついでに摘出してしまったので、ひと安心!)
そんなある日、いつになく激昂してしまうような出来事も重なり、
大学の保健室に駆け込んで横にならせてもらう
などという、小学校以来無縁だった経験までしました。
母方の血縁、それも男系には心臓疾患で若くして急逝した人が何人かいます。
祖父がそうでしたし、叔父も、就寝中に心筋梗塞で亡くなりました。
そんなわけで、血圧以外の自覚症状はなかったものの
(血圧自体も「測れば高い」という程度で、特に苦しいわけではありません)
精密検査をすることにしました。
そしたら、何と、見つかったのですな、これが。
大動脈弁閉鎖不全症
というやつでした。
心臓の弁のひとつである大動脈弁が閉まりきらず、
約50%の血液が逆流している、というのです!
すでに書いたとおり、
苦しい、痛い、息切れする
といった自覚症状は皆無でした。
それどころか、ふだんから
身体は鍛えるべし
と思って、
体幹の強化をはじめ、基礎体力に関するトレーニングは、
結構地道に継続していたのです。
東京マラソン、出たいなあ
などとほんの少しだけ夢見て
ナイキの大迫モデルのランニングシューズをゲット、
走る真似も始めていました。
(2010年にはランナー抽選にははずれましたが、ボランティアは経験済みですっ)
その時に配られたウィンドブレーカー、まだ捨てられずに持ってます
真似、とはいってもプロのトレーナーの指導つきですから
それなりに
正しい走り方
を教わってのジョギングでした。
見よ、この鍛えられたふくらはぎを!
確かに、正しいトレーニングを重ねると体幹が安定して、
ピアノを弾くのも楽になったぞ〜
と実感していたのです。
それはさておき、この大動脈弁閉鎖不全症ですが、
自覚症状はなかなか出ないのだそうです。
動悸、息切れ、といった心不全につながる症状が出現してからでは
手術をしても予後はあまり良くない、とのこと。
余興に富士山にでも登って山頂近くで心不全をおこしたら
大騒ぎになることころでした。
あんなに混んでいる山に登る気にはなりませんが、
スカイダイビング、スキューバダイビング、遊園地の絶叫マシーンは
大好きな性分ですからね。
残すはバンジージャンプだな!
と思っていた矢先でしたので…。
* * * * *
問題は
今年10月19日に予定していたソロリサイタル
をどうするかです。
会場費はすでに支払ってありますし、
宣伝用のチラシはすでに印刷完了。
頒布用の2万枚が山積みになっています。
毎回約千通ぐらい準備するDMもカヤニカままが封筒詰めしてくれ、
あとは発送するだけ、まで準備完了。
内容物を仕分けして、 封筒に詰めていきます。
次のステップは
音楽雑誌への広告掲載にゴーサインを出すか
でした。
一般への告知をスタートするか、の判断です。
これと同時にプレイガイドなどでのチケット販売もスタートしますので、
誰でもチケットを入手できることになります。
後戻りはできません。
悩みました。
血圧はともかく、心臓に関する深刻な自覚症状はないので
今すぐ手術すべきだ
という切迫感がありません。
ここまで準備を進めたセルフメイドの自主リサイタル。
今やめてしまっては、負債しか残りません。
リサイタルをやって、それから手術
という選択肢も、理論上は存在します。
でも、
それまでに何かあったら…
と思うと不安ですし、全力投球できません。
それに、大学での仕事にも支障が生じます。
これから何年もお世話になる大学なら恩返しができても、
今年いっぱいで定年となる「最後のお勤め」ですし…。
リサイタルまでに回復する、という目算で手術してしまう
というのは、リスクが高すぎます。
すべてが無事に終わる保証はありません。
何らかの合併症が発生する危険はそれなりにあります。
また、術後の痛みがどの程度かも、やってみないとわかりません。
胸を胸骨もろとも縦にバッサリ切るわけですのでね…。
アマチュアの発表会ならともかく、まがりなりにもプロが
それなりの値段のチケットを買っていただいて行うコンサートですから、
「病み上がりでしたが、がんばりました」
とは口が裂けても言いたくありません。
やるならば、万全の状態で臨みたい。
最悪のパターンは
チケットも売ってしまったのにコンサートが遂行できなくなり、
払い戻しを行う
という事態。
手間、負債とも最大となり、とても背負いきれません。
それこそ心臓に悪い結果となります。
最終的に下した判断は
中止
です。
延期
ととらえていただいても構いません。
まだ大々的に宣伝はしていませんでしたが、
すでにこっそりお伝えしてしまった方々には、申し訳ない結果となりました。
伏してお詫び申し上げます。
ほんとうに申しわけありません。
次の回がありましたら、その時に応援していただければ嬉しいです。
夢の跡…。涙をのんで廃棄しました。カヤニカまま、ごめんなさい!
* * * * *
手術は8月1日でした。
朝8時過ぎからオペ室行きの準備が始まりました。
私自身は全身麻酔で
目覚めたら終わってた
というお気楽な状況。
でも正気に戻ったのは集中治療室の中でした。
首も、腕も、腹部も、身体のまわりは管ばっかり。
いったい何本の管につながれていたのでしょうね。
10本まではいかなかったと思います。
胸には縦に20センチ超えの刀傷が残っています。
(画像は出しません。あしからず)
1)心臓を露出して、(わっ)
2)人工心肺につないで、(う〜む)
3)一旦止めて(えっ?)
4)人工弁を縫いつけて(ううう…)
5)心臓を再起動して(たのむぞっ)
6)あとは骨をボンドでつけて、皮膚を縫って一丁上がり(!)
という手術。
準備も含めて8時間ぐらいかかるかも
と予告されていましたが、
思ったより早く、7時間程度で終わりました。
輸血も必要なかったとのことで、めでたし、めでたし。
輸血は常に感染症の危険を伴い、結構なくせ者ですからね。
あとで知ったのですが、カヤニカままは氏神様に祈願をしてくれていました。
ありがとう! 神さまは願いを聞き届けて下さいましたぞ。
なお本題からは逸れますが、下の絵馬はすぐ隣にあったものです。
こいつ、高校、受かったのかな…
拙宅では妙にウケてました。
新しく縫いつけられた弁はウシの組織で作られた、という生体弁です。
機械弁にすると永久にへたれないかわりに、
死ぬまでワーファリンという薬を飲み続けなければなりません。
血液をサラサラの状態に保たなければならないからです。
生体弁の場合は、ワーファリン服用は当初だけで
あとは普通に暮らせるのだそうです。
こんなのが(右側の生体弁)私の心臓の中で動いているのです。牛よ、よろしく〜。
ただし今までの生体弁の耐久年数は10〜15年とのこと。
これだと私の場合は
さらに老齢になっての再手術
という可能性が否定できません。
今回こそカヤニカままが寄りそってくれましたが、
次回どうなっているかは、神のみぞ知る…。
それでも私の心臓に縫いつけられたのは、新しいタイプの製品なのだそうで
耐用年数は20年程度とのこと。
ただ、本当にそこまで持つかどうかは、未知数です。
この弁をそこまで使った、というデータはまだ存在しないのですから。
あとは医学の進歩を信じるのみです。
20年後には開胸することなく、
血管内、胸腔内で処置できる術式が編み出されているかも知れません。
しばらくは毎朝これだけの薬を服用しなければなりません。
塩分のコントロールもかなりシビアです。
もともと料理好きのカヤニカままが、毎回腕を振るってくれます。
でも、これからの秋の味覚の数々には誘惑されそうだなあ…。
何はともあれ、8月1日が私の第二の誕生日となりました。
獅子座ですな。
獅子座生まれのみなさま、仲良くして下さい。どうぞよろしく!
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ブルクミュラーの楽譜が完成しました!
定番の教材《25の練習曲》の今井版校訂譜と指導マニュアルの2冊です。
これですっ、この2冊
以下、少々専門的な紹介になりそうですが、うまく説明できるかな…。←ボソッ
————————————
ドイツに生まれてフランスで活躍した作曲家、
フリートリヒ・ブルクミュラーが19世紀半ばに出版した《25の練習曲》は、
日本のピアノ教育界の定番教則本として長らく使われてきました。
今でも人気の教材です。とても魅力的な作品ですよ!
日本ではコンクールも開催されるようになって、ますます人気上昇中。
しかし長らく日本で愛用されてきた楽譜は、要注意。
パリで出版された初版譜をドイツ(ライプツィヒ)で第三者が校訂したもので、
作曲家の感性が少なからず無視されている、
とんでもなく身勝手な楽譜だったのです。
でも、そんな背景があることは、
昭和(それも戦前)の時代に日本の音楽教育に携わっていた誰一人として
知るよしもありませんでした。
それもそのはず、第二次世界大戦までの日本の知識階級は
西欧の文化といえば、ドイツが最高である
と信じて疑わず、盲目的に受け入れていたのですからね。
たとえば医学。そして哲学。文学ももちろんですし、当然ながら音楽も。
そして日本はドイツ、イタリアと同盟を組んで戦争へと突き進み、
嗚呼、敗戦を迎えたのでした…。
同じく日本のピアノ教育界の定番教材のひとつである《ソナチネアルバム》にも、
作曲家に申し開きができないような追加変更
が施されていました。
当時の音楽界に君臨していたリーマンという学者に影響されてのものでしょう。
そうした「恣意的な改変」「誤解」「無理解」「厚化粧」をそぎ落とし、
作曲家の意にかなうようリメイクしたのが、この楽譜です。
このような考えのもとに編纂された楽譜は
「原典版」という名のもとに次第にシェアを伸ばしています。
楽曲の学術的研究の基礎資料ともなる、大切なリソースです。でも、
原典版と銘打ちさえすれば、誰もがこぞって買ってくれる
というものではありません。
とりわけ教育現場のユーザーたちには
なぜ原典版が優れているのか
どのように使ったら役立つのか
を伝授する必要があります。
家電やパソコンと同じです。使い方がわからなければ、すべては宝の持ち腐れ。
そこに終止符を打とう! という気持ちでこの楽譜を作りました。
とりわけ「指導マニュアル」には、斬新で画期的な内容をたくさん盛り込みました。
さてさて、これからどうなるか…。
カラーで指導ポイントが示されています
「マニュアル」はその名の通り指導者へのアドバイスを満載した楽譜なのですが、
小学校高学年以上の熱心な子なら、読みこなせると思います。
読んで学べる秘密の数々
赤い楽譜は生徒用。これを見ながらピアノに向かって欲しい。
でも、生徒に新しい楽譜を買わせるのは、そう簡単ではありません。
たとえそれが問題はらみの楽譜であろうと、すでに一冊持っていたりすると、
「買い換え」はさらに困難。保護者の説得は「しんどい」につきます。
税込みでも千円以下なのですがねえ…。
今までの楽譜とはちょっと違うのがわかりますか?
そこで、ひとつアイデアを。私のもとにご注文いただいた楽譜には
金色のマーカーでサインを入れてお届けします。
「校訂者の直筆サイン入り」ということであれば、勧めていただきやすいかも?
ただし、古本としては売りにくくなりますので、ご用心。
私へのアクセスは「今井顕のオフィシャルサイト」からどうぞ!
ネット検索すればそう苦労せずにヒットすると思います。
私のサイトでは、お値段もちょっとだけお安くなっています。
でも、送料は別途なので、それほどお得感はないかもなあ…。
ご検討下さいませ!
]]>
桜の季節も終わり
やっと春らしくなりました。
冬眠していたわけではありませんが
年明けから予想外の出来事に戸惑う日々が続いています。
数年前に両親を見送り、
これからはワンコの老後と、自分たちの老後をいかに過ごすか〜
と思っていた矢先、近所に住まう叔母が入院、
薬のコントロールがむずかしい難病指定の病気を抱え込み、
それから、ある意味怒濤の日々が始まりました。
叔母は今年87才になる独り者。
危うそうな株や證券の投資などで大損をしているのに、
それを自覚せずに通販で買いまくり…
家は物とゴミとであふれかえり…
う〜〜〜む。
それをカヤニカままと二人で途方に暮れながら片付けました。
まじっすか?
片付けても、片付けても、日を待たずして元の木阿弥。
退院してから再びゴミは増え続け、
病院への通院はもはや一人ではできず、
通帳をなくしたあげく銀行を2行はしごさせられ…
これらの世話はすべてカヤニカままの役目とならざるを得ず、
金銭面のこと、生活のことなどが円滑に運ぶよう、
法定後見人の申し立てをすることになりました。
以前我々夫婦で両親の後見をしていたのである程度の知識はあるものの、
叔母の家はゴミ屋敷ゆえ、重要な書類がどこの山に入っているのか出てこない…
この机が食卓でもあるのです。
今回は私が後見人になるには時間的ゆとりがないため
カヤニカままにその役目を託しました。←ごめんなさい…
叔母のずさんな財産管理を一人でするのは無理なので
以前お世話になった司法書士の先生とタッグを組んでのぞみます。
何でもパパパッとすぐに処理したいタイプのカヤニカままと
同じような性格の女性の先生なので
多分うまくいくのでは、と期待しています。
我々の世代になれば避けて通れない介護問題。
同じような悩みをお持ちの方、法定後見制度という選択肢も
一考してはいかがでしょうか?
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みなさま
昨年11月以来、ずっとお休みしてしまいました。
申しわけありません。
もう少し時間をください。
いま、がんばって元気を貯めているところです!
日増しに暖かくなりますね。
嬉しいですね。
おすこやかにお過ごしください!
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で、今年は何が欲しいの? すなおに言いなさい!
いや、そんな無駄な出費はいいから、自分のために使いなさい。
それがパパにとって一番うれしい、幸せなことなんだから。
だめ。言わないと勝手に何か買っちゃうよ。
気に入らなくても文句たれないでね。
いや、ほんと、いらないってば。
欲しいもの、とりあえず何でも持ってるから、思いつかないよ〜。
毎年私の誕生日前になると繰り返される、カヤニカままとの問答です。
以前はカヤニカままの誕生日前にも逆方向のやりとりがあったのですが、
最近は現金精算方式になりました。
はい、これで好きなもの買ってね。
と、金一封を渡します。
なぜなら、プレゼントに関する私の趣味はいつもサイテーかつ最悪で、
いつも「よりにもよってこれを選ぶか」という選択なのだそうです。
さりげなく観察していると、その臨時収入でモノを購入している様子はなく、
貯金し、通帳を見ながらこっそりほくそ笑んでいるような…。
でも、何がどうであれ、喜んでもらえるのが一番です!
さて、今年の私に関しては
どうしてもこれが欲しいっ
というものがありませんでした。
定年も近くなり、
わが物欲、ついに枯渇したか
という状況だったのです。
どうしても、というのなら、
ちょっとお洒落なウィンドブレーカーあたりかな〜
という程度。
しか〜し!
ついに出たね!
アップルウォッチのニューモデル!
ずっと昔から、体重管理の一助としてさまざまなグッズを使ってきました。
いろいろ計測し、その数値を記録することが好きで、苦にならないのです。
そのせいで、漫然と散歩するよりは、
汗臭いスポーツジムのトレッドミルで心拍数を見守りながら
ランニングする方が楽しかったりして…。
お、坂道の角度を増やしたら心拍数が上がった!
みたいな感じです。
だから、それで?
と言われてしまえばそれまでですがね。
もうかなりの年数、以下の毎日以下の項目をチェックし、記録し、
グラフにして体重管理の一助にしていま〜す!
時に「やわ」になりそうな事もありますが…。
起床時体重 就寝前体重 BMI 体脂肪率 筋肉量 骨量 内臓脂肪率 基礎代謝量
体内年齢 歩数 血圧 運動の種類と量 飲酒量(飲みすぎ、普通、etc)
このために、タニタの体脂肪計、インナースキャンは必需品。
旅行にも持っていきます。
安物の体重計だと乗るたびに表示される体重が違いますが、
このランクになるとさすがに安定しています。
一番最初のコンパニオンは万歩計でした。
ごく単純な、大雑把な数値しか表示しないものから、何回かランクがあがりました。
そして、つい数日前までの愛用品は
ガーミンの活動量計(アクティビティトラッカー)でした。
歩数はもとより、登った階段数、心拍数はもちろんのこと、
ジョギングやウォーキング時には内蔵されたGPSによって
正確な移動距離を計測できます。
あとで移動したルートの地図を見られるのも楽しいし。
1kmごとのラップも計算してくれ、
信号待ちなどではタイマーが自動停止してくれるスグレモノ。
ブレスレットタイプですが、やはりカジュアル。スーツには似合いません。
常に身につけていないと意味がないのですが、外出先によっては
え〜、それ着けてくの〜。やだ〜、安っぽ〜い、一緒に歩きたくな〜い
とかやにかママはおかんむり。
しかし、このたび、これを頂戴したのであります!
最新のアップルウォッチ、それもNikeモデル!
トップモデルは腕時計単体で電話もできるのですが、
電池の減りが半端ではないらしいし、通信料も別途かかるし、
ペアリングされているiPhone(=自分のiPhone)が近くにあればまったく問題ない、
とのことだったので、GPSのみ内蔵のモデルを選択しました。
新製品+人気商品だったので、予約時から入荷まで時間がかかり、
誕生日には間に合いませんでした。
約一ヶ月遅れで、このほどようやく入手。
これから「何ができるのか」を鋭意研究いたします!
あ、スーツ姿の時にはエレガントなベルトにワンタッチで交換できます。
が、こちらはいまだに入荷待ち…。
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1990年頃にウィーンでに出会い、わが家の一員となりました。
その後あまり弾かれることはなかったものの、いつもさりげなくそばにいてくれた
「シュトライヒャー」というピアノが、とうとうヨメに行きました。
1843年にウィーンで作られた楽器で、このブログでも何回か登場しています。
嫁ぎ先のダンナさんは私も良く知っている名チェンバリストで、
これ以上はない、良き縁組みとなりました!
これからは楽器として実際に弾かれる機会が増えることは確実で、
ピアノ自身も喜んでいるに違いありません。
嫁入り前の最終調整。
いよいよ、荷造り。
入念に梱包されます。
スタジオからの旅立ち…。
自宅横の坂道を下り…
トラックに積み込まれました。
空きスペースが寂しく、うつろです…。
ところで、この9月にワルシャワで
第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール
が初めて開催され、日本人の川口成彦さんが堂々の2位に入賞したのです!
ショパン時代の楽器を使ってショパン作品の演奏を競う、というものですが、
シュトライヒャーもそんな楽器のひとつ。
実際に体験してみると
この曲はこんな響きだったのか!
という驚きがいっぱいです。
NHKもドキュメンタリーの収録に行っていた、という話もあり、
ということは、日本でピリオド楽器のブームが巻き起こるかも。
この楽器を「売ろう」と決心した2年前にそんな気配はなかったのですが、
もしかすると世の中の風向きが変わるかも知れません。
そんな時にこの楽器を手放してしまうことが、果たして正解だったのか??
──わかりません。
でも、自分自身はやはりモダンピアノの方が好きです。
…というところで、さりげなく宣伝を。
2019年(来年です)10月19日(土)の午後、東京は上野の文化会館小ホールで
久しぶりのきちんとした東京公演を行うことが決定しました。
ハイドンとシューベルトを弾きます。
地味なプログラムですが、心をこめて演奏します!
それはさておき、これからのピアノ界、どうなるのでしょうね。
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このところ破竹の勢いで成長している水泳女子の池江璃花子選手。
そ池江選手のコーチが三木二郎氏。このところよくテレビにも出てきます。
画像は三木コーチのオフィシャルブログからお借りしました。
実はこの三木コーチ、私の中高の同級生のムスコなのです。
2000年(シドニー)2004年(アテネ)のオリンピックに、選手として参加しました。
父親も水泳部でならした名選手でしたが(という記憶ですが…)、
そのムスコがオリンピックという晴れの舞台に出るのは
最高にめでたい!
ということで、オジサンばかりがたくさん集まって
二郎選手を囲んだ応援会を焼き鳥屋さんでやりました。
その時にゲットしたのがこのTシャツです。
2002年のアジア大会の時のものですが、
背中にサインしてもらいました。
もったいなくて、着ずにずっとしまってあったのですが、
そろそろ、と思って今年から着はじめました。
そしたら、池江選手+三木コーチの大ニュース!
今となっては宝物。
また着られなくなってしまいました…。
三木君、もっともっと活躍して下さい!
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停滞してしまった《かやにかパパの打出の小槌》、申しわけありません。
「きちんと書こう」と構えすぎるからでしょうね…。
相棒が書いている《カヤニカままのクリサジーク三昧》はサクサクと好調なのに…。
ま、いいや。
自分にできる以上のことはできないわけですから〜。
のんびり行きます。
あまり期待せずにお待ち下さい。
— — — —
8月、ロシアはサンクトペテルスブルクを訪ねました。
有名なエルミタージュ美術館があるところです。
《アジア国際音楽コンペティション》
という、中国(台湾)の音楽団体が世界各地で
毎年行っている企画の審査員として招聘されたのです。
ここがコンペティションの会場です。とてもよいホール。
審査終了後、審査員への福利厚生の意をこめて、
サンクトペテルスブルクの観光ツアーが提供されました。
「血の上の救世主教会」。以下の顚末が生じたのはここの訪問直後。名前が悪かったか?
サンクトペテルスブルクは、実に不思議な街です。
ただ、その成立に関してはここでは触れません。
そのペテルスブルク、観光客が群がるエリアは別として、
普通の街並みはウィーンとそっくりです。
すごく不思議なノスタルジーを感じてしまいました。
さて、今回の話題はロシアの病院のこと。
「ロシアの病院」なんていうと
おい〜、大丈夫かよ
と思いたくなりませんか?
それが、まったく正反対。
日本ではありえない高レベルなのです!
なぜそれを感じたか。それは。。。
実はこのワタクシ、観光ツアーの最後に寄り道した高級お土産店の中で、
出っぱっていた壁の角に正面衝突してしまったのです。
鏡張りの角だったので、その衝撃でひたいがざっくり…。
ハンカチでぎゅっと止血して、何とか血は止まったのですが、
衝突相手が鏡の角ですからね、こりゃ「裂傷」というやつ?
ちょっと大袈裟すぎるか…。
写真では「縦に一筋」だけですが結構深く、「パックリ」という感じの傷なのです。
この写真ではあんまり重症には見えませんね…。
横に写っている手は他人の手です。悪しからず。
コンペティションのスタッフと同僚の審査員たちが心配してくれて、
とにかく病院に行くことになりました。
旅行者用の傷害保険にはぬかりなく加入してきましたので、金銭的には大丈夫。
「縫ってもらった方がいいのかなあ…」などと思いつつ、
とにかく消毒はしてもらった方が、と思い、病院に急ぎました。
最初にたどり着いた病院には外科がなかったようで、
近隣の病院を紹介してくれました。
すごくきれいなビル。ぜんぜんロシアっぽくありません。
入口を入ると、「靴カバー」があります。
このシャワーキャップのような代物、日本では見たことなかったのですが、
付き添ってくれたスタッフは、これを当たり前のように装着します。
「院内に入る際には必ず装着して下さい」みたいな大袈裟な看板もありません。
でも、待合室に入ったら、患者全員これを当たり前のようにつけてるじゃないですか。
へー
と思いました。
日本の病院では、手術室近辺はまだしも、外来フロアでこんなものはしませんよね。
すばらしい。
これがその靴カバー。処置中です。
そして、受付のスリムなロシア美人に
ほら
とひたいの傷を見せたら
ものの数分で処置室に招き入れられました。
そういえば外科のなかったひとつめの病院も、受付はスレンダーな美女でした。
「受付嬢」ということで選んでいるのかなあ…。
同行したスタッフもいろいろと気遣ってくれましたが、ここで活躍したのが、なんと
ポケトーク
これです。
性能をまだ信じられなかったので、今回はレンタルで持っていきました。
ワイファイの状況次第できちんと動作しない場面もあったのですが、
病院では大丈夫でした。
結局傷を縫う必要もなく、消毒されて、薬を塗った絆創膏を貼られただけでした。
一日たったら剥がしていいとのこと。
再来院も不要ですと。
絆創膏、貼られちゃいました。
これで片がついたのは「不幸中の幸い」でした。
2日たったらこのぐらい。まだ目立つなあ。
診察室の設備も、担当医師の対応も、きちんとしていてびっくり。
ゴミもホコリもなく、ピッカピカです。
もしかしたら私自身の中ではまだ
「新生ロシア」と「共産圏のソ連」
とがごっちゃになっているのかも。
「東欧」と呼ばれる社会主義国(共産圏)がヨーロッパにのさばっていたジェームス・ボンドの時代、
これらの国々では富裕層や政治家たちはともかく、一般市民が享受できた医療環境は
ものすごく古くさいものだったらしいですから。
すごく新鮮な驚きでした!
「思い込み」というのは、恐ろしいですね。
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親愛なる読者のみなさま
ご無沙汰しています。
ブログ、ちょっとお休みしています。
元気に暮らしていますので、ご心配なく。
かやにかパパのオフィシャルサイトはこちらです。
近いうちにまた再開します。
それまで、どうかお待ち下さいますように!
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4月です。新学期。
今年は桜の開花が思いのほか早く、
職場のキャンパスの桜は。入学式の前に咲ききってしまいました。
新学期になると、新入生が割り当てられます。
ピアノ専攻生として今井クラスにくる学生からは、通常前もってコンタクトがあるのですが、
事前に何の連絡もなく、突然現れる学生もいます。
「え、君、今井先生を選んでくれたんだ〜。ありがとう。でも、なぜ?」
「はい、名前聞いたことあるし、何かちょっと良さそうに思ったので…」
最近の学生って、こんなものです。驚いてはいけません。
ピアノ専攻はもちろんですが、他にも授業を受け持っています。
副科ピアノの授業も例外ではありません。
で、来ましたね、今年も。
今年はサキソフォーン専攻の学生が8名。
副科の履修生は全員まとめたクラス授業として面倒をみます。
授業は90分ですから話(雑談?)10分とすると、残り時間は80分。
一人10分のピアノレッスンです。上手になってくれるのかなあ。
必修だから、落ちてはならない試験もあるし…。
1名は偏頭痛でお休みです。みなかわいいので区別をつけづらいです。
問題は、学生たちの名前を覚えること。
私はこれがチョー不得意なのです。
「不得意なんだ」とあぐらをかいていたら、ますます覚えが悪くなりました。
悲しいかな、トシのせいもあるでしょう…。
でも、そうも言っていられません。覚えなくては。
名簿を見て、名前を呼んで、顔を覚えて、特徴をメモする。
このメモは、本人にはぜったい見せられません。
もしや、に備えてドイツ語を駆使することも。
パソコンで管理するメールアドレス帳用の写真も撮ります。
簡単な自己紹介もしてもらいます。
好きなことや人生のエピソードを聞かせてもらうと、印象が濃くなります。
でもこの自己紹介が、なかなかのくせ者。
自分の名前をきちんと発音するのが一番大切なのに、それができない学生が少なくない。
たとえば「くだち│なつ」と聞こえた名前の正体は「ふくだ│ちなつ」
「ちや│このみ」は「はちや│このみ」
「なみ│きり│わ」という3拍子リズムの名前は「なみき│りわ」でした。
読めない名前も続出です。
たとえば「目」さんという学生がいます。「さつか」さんです。
わからんよね〜。
…などなど、こうしてジワジワと覚えていくのです。
毎回すごく苦労するので、他の先生にもコツを聞いてみました。
みなさん、やはり苦労なさっているようでした。
顔を見てから、それに名前を紐付けしていく
というのはごく普通でしょう。ある先生は
春休み中に名前を全部暗記して、それに顔を紐付ける
とおっしゃってました。ふ〜ん。
6匹のワンコの名前と顔を一致させるのも大変かも。拙宅のが3頭まじっています。
ところで
久しぶりに会った人の名前が出てこない
という経験はどなたもなさっていると思います。
教育者や政治家の集まる場なら「先生!」で何とか切り抜けられますが、
そうもいかないシチュエーションも…。
ほんと、もどかしいです。「お名前、なんでしたっけ」と聞くわけにもいかない。
「いや、敢えて聞く」という人もおられました(←どこかで読みました)。
「え〜と、お名前何でしたっけ」
「あ、失礼、今井です」
「いや、それは存じてますよ。下の方のお名前です!」
とやるのだそうです。
でも、相手によりますよね。
それに、「くだちです」「ちやです」なんて答えられても困ります。
そんなわけで、私はパーティーなどで人に会ったときには
必ず、まず自分の名前をはっきり言うようにしています。
「今井です。お元気ですか!」
相手が同じように名前を返してくれるとは限りません。
「あ、どうも」ですまされてしまうことがほとんどです。
こちらとしては相手の名前の記憶に自信がないのに、困ったもんだ。
こうして、私の苦悩はつきることがないのであります。嗚呼…
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3月も本日が最終日。ギリギリの投稿です。
そんなに自分を追い詰めなくても、とは思うのですが、
自分で決めたルールです。
一回投げてしまうとそのままずるずるになりそうで…。
- - - - - - - - - - -
春休みも終わりとなるので、4泊5日のワンコ連れ旅行を計画しました。
いつもの河口湖の近くの宿に来ています。
計画当初の予定では何のイベントもない、いつもの休養旅行のはずでした。
しかし、春の訪れは早かった!
桜が突然満開となり、桜のあでやかな姿を連日満喫できる旅に!
とりわけカヤニカままは、たおやかなしだれ桜が大好きなので、
山梨県は身延山久遠寺の桜見物を今回の休暇旅行のメインイベントにすえました。
ここには何と、樹齢400年のしだれ桜があり、日本さくらの名所100選に選ばれています。
それが今、まさに満開なのです!
出発の前に近所の桜の名所をチェック。
ご近所、神田川両岸の桜もあなどれません。
自宅から歩いて10分で楽しめる名所です!
まずは東名高速に乗ったのですが、ううう、事故渋滞…。
思ったより時間がかかってしまいました。
小田原の近くにある一夜城ヨロイヅカ・ファームを訪問。
自然な感じののびのびとした桜です。はるか彼方は相模湾。見えないのが残念…。
ここでパンをゲットして昼食にする予定だったのですが、
甘いケーキしか売っていなくて残念。
売れ残っていたキッシュを頬張って我慢しました。
ついでに数年前に亡くなった川島なお美さんの慰霊碑にお参りを。
「私は蝶になって…」と刻まれています。
その後は芦ノ湖スカイライン経由で宿に向かいました。
箱根駅伝のゴール、芦ノ湖。本格的な春まではもう少し。
さて、今回のメインイベントである身延山久遠寺には、
到着翌日に向かいました。
予想を裏切らず、見事でした。すばらしい。美しい〜。
しか〜し…!
3ワンコのうち末っ子の小太郎が大騒ぎ。
泣くわ、叫ぶわ、あばれるわ、で制御不能となりました。
こんなことは今まで経験したことがありません。
急カーブの続く山道をずっと辿ってきたので
車に酔った、あるいは三半規管に異常でも生じたのか、と心配したり、
小型犬には珍しくない、てんかんみたいな発作でも起こしたのか、
というほどの大騒ぎ。
あんなに楽しみにしていた久遠寺でしたが
大急ぎで写真を撮っただけで帰路につきました。
帰路ではこんな風景も楽しめましたが…。
お寺を離れたら、ほどなくもとの小太郎にもどりました。
あそこまでとりみだした原因は
霊を見てしまった
としか考えられません。
そう言えば、ヨロイヅカ・ファームでも何となく落ち着かない感じでした。
でも川島なお美は大の犬好き。
霊がいたとしても、怖い霊ではなかったはずです。
明けて次の日。
昨日の体験を検証できるかも、と思いつつ、甲府の武田神社に行きました。
昨年も同じ時期に訪ねたのですが、その時はまだ開花前。閑散としていました。
でも今年はみごとドンピシャ。神社に至る桜並木の風景は圧巻です。
並木の見物までは普通でも、神社に近づくと、小太郎のみ、もうダメ。
散策しようと、スリングに入れても暴れます。雄叫びをあげます。
表情も尋常ではなく、不穏な霊の存在を感じているとしか思えません。
武田の落武者の霊でもいたのでしょうか…。
霊が見える
犬の場合、そういうことがあるのは義母宅のワンコで経験済みです。
人間でも霊が見える人、いますからね。不思議ではありません。
なお、コタ以外の残り2ワンコはいたってのんびり、普通に過ごしていました。
霊が見えないタイプのようです。
今後、神社仏閣の訪問には配慮が必要になりそうです。
いずれにせよ、いましばらくの観察が必要ですね。
いきなり靖国神社に連れて行くのは、きつすぎるだろうなあ。
まずは近所の氷川神社?
霊を見ちゃったけれど、元気です!
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毎月一回は更新すべし、と一人で意気込むかやにかパパのこのブログ。
えい、二月はもともと短いし、来月分とまとめてお茶をにごしてしまおうか…
と思いつつも、まずは今月分をがんばって投稿します。
私が愛用している(正しくは「愛用していた」)便利グッズを
お目にかけましょう。
これです。
何だかわかりますか?
ほら、立食パーティーって、あるじゃないですか。
で、どうしてますか、食べ物と飲み物?
「もっぱら食べるだけ」なら特に問題はありません。
「もっぱら飲むだけ」も同様です。
でも、軽く飲みながら会話を楽しむのが
大人の行動
なのでしょうね。
でも、おいしそうなものがたくさん並んでいるのを横目で見ると、
「もとをとろう」という邪念も湧くし、
「自宅では食えない高級メニューは、一通りチェックしておきたい」
という欲望も、頭をもたげます。
食べたいし、飲みたい。
しかしそのすべてを、立ったままで、こなさなければならない。
というところが試練です。
これに名刺交換が加わったりすると、状況はもっと厳しくなります。
ハンドバッグを手放せない淑女たちも、さぞや大変だろうと思います。
片手でお皿を持ち、もう一方の手で箸かフォークをあやつる──
…これじゃグラスが持てません。近くにテーブルがなければ
片手でグラスとお皿を支え、なおかつ上品に食べる
というアクロバティックな技術が必要になります。
すごいフィンガリングですよね。手が大きくないとむずかしいです。
お皿の上にグラスを乗せることもできますが、不安定だし、これじゃ食べ物がのらない。
そこで登場するのが、このクリップです!
これをお皿に取りつけます。
そして、こう!
ワイングラスじゃないとだめですが、なかなかのスグレモノですよ!
白いプラスチック製の方(左側)が安定していて使いやすいのですが、品格がいまひとつ。
宮内庁主催の皇室パーティーにはそぐわないかも…。
製品は、日本製だと思います。
でも、私が入手したのはもうずいぶん昔のこと。
今でもまだ売っているのかな?
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旅行のおみやげの王者、それは
信玄餅
山梨県の代表的なお菓子です。
そんな高価ではないし、気軽にプレゼントできます。
あまり日持ちしないのだけが、ちょっと残念。
これです、これ、これ!
こちらはワンランク上の製品。甘さ控えめの蜜がついています。いくぶん高めですが、私はこっちが好きだなあ!
その昔、武田信玄が絶賛したところから、この名前がついたそうな。
それも、桔梗屋のものが有名です。
昨年はJR東日本おみやげグランプリのお菓子部門で金賞を受賞したとのこと。
駅の売店やドライブインなど、どこにでも並んでいるお菓子です。
お正月明けに、河口湖近くのいつもの宿に一週間ほど行ってきました。
富士山はいつも美しい…。河口湖の北側からの風景です。
ワンコと同室で泊まれる部屋があり、自炊もできるので気に入っています。
かやにかパパ家の家族旅行は
滞在先ではなるべく動かずじっと籠もる
がモットーです。
部屋で本を読んだり、寝だめをしたり。
観光はほとんどしません。
近隣のショッピングモールに食材の買い出しには行きますが、外食は極力控えます。
だって、割高だし、車で移動するとお酒が楽しめません。
でも今回はちょっと趣向を変えて、信玄餅の工場見学に行ってきました。で、
すごい〜
と大感激!
自動化されているところもたくさんありますが、圧巻は
基本は手作業だったんだ!
というところ。
まさに
人海戦術
ですね。
信玄餅のパックひとつを包むのにかける時間は、たったの
5秒!
ということです。
工場の敷地内には売店もあって、「何でも詰め放題袋」が220円で提供されていました。
かやにか一家は争わず、傍観者の立場をつらぬきました!
こちらが桔梗屋提供のムービーです。
「桔梗信玄餅の包み方」の動画をご覧下さい。
http://www.kikyouya.co.jp/enjoy/more4/
また、桔梗屋推奨の食べ方も参考になります。
こうすれば
(`ヘ´) いつもきな粉だけが余ってしまう。
(T_T) 蜜がうまく餅に馴染んでくれない。
という悩みが解消されるかも!
「目からウロコ」の驚愕ムービーですよ〜。
http://www.kikyouya.co.jp/enjoy/more11/more11-5.html
]]>
年の瀬です。
年末になると、やはり物事に区切りをつけたくなります。
部屋の掃除もそのひとつ。
しか〜し…
仕事場である自宅スタジオの片付けは無理そうな雲行きです。
実はピアノの大修理が進行中。
今までだましだまし使っていたベーゼンドルファーを
バリバリの現役として復帰させることにしたのです。
ずっと愛用していたスタインウェイのピアノを京都に嫁入りさせたことは
今年5月29日のブログ「ピアノの嫁入り」で報告しました。
その代役をしばし担っていたベーゼンドルファーですが、
音色は麗しいものの、メカニックが万全ではなかったのです。
メインとなる作業は以下の通り。
・ハンマー交換・再調整
ハンマーの接着には膠(にかわ)を使います。その後アクションの再調整。
・チューニングピン交換と弦の張り替え
チューニングピンにチョークの粉をまぶしてドリルでねじ込みます。すごい騒音…。
・ダンパーフェルト更新
使い込まれた自作の工具。白いのはダンパー用のフェルトです。食べ物ではありません。
まさに発音に関わる心臓部の交換です。
鍵盤の象牙の貼り替えは数年前にやってあります。
そんなわけで、レッスン時には電子ピアノを使っていますが、やっぱり不自由です…。
これだけの大仕事を通いの作業でお願いできるのはほかでもない、
私が全幅の信頼を置いてピアノのお世話を委ねている照沼純氏です。
昨年1月23日のブログ「大修理」をご覧下さい。
このブログにも登場した私の教え子、松田ゆかりさんは
この当時まだ技術者としてはひよっこでしたが、その後大きく成長し(体重は変わりません)、
今回の作業ではお手伝いとして参加してもらいました。
松田さんの希有なキャリアに関しても、このブログで再チェックして下さい!
ところで、このベーゼンドルファー、
正真正銘のベーゼンドルファーであることは120%確実なのですが、モデル名が不明です。
製作年も不明。通常は響板の中央に刻印されている番号が見当たらないのです。
フレームにも何もありません。
内部に打たれている番号は作業番号なので解明の役に立ちません。
でも、これとまったく同じモデルを見たこともあるし、何らかの情報は存在するはず。
特徴をリストアップしてウィーンの本社に問い合わせてみようと思っています。
1月初旬には修理完了します。
どんな楽器になるか、楽しみだなあ!
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秋も深まってきました。
職場のキャンパスの銀杏もこんなに色づきました。
毎年の事ながら、思わず写真を撮らずにはいられなくなります。
夏はこんな感じでしたよ。
昨年3月のブログで、原因不明の難病と闘っているK君との出会いを綴りました。
筋痛性脳脊髄炎という、原因も治療法もわからない、脳内の血流に関連する病気です。
K君の場合は左脳への極端な血流量減少で脳の活動が低下し、
やろうとしてもできないことがたくさん生じていました。
それから1年半。
ふと思いたって、K君にメールしました。
その後、つつがなく過ごしてますか?
がんばれてますか?
今年は何かいいこと、ありましたか?
翌日に返信がありました。なんと!──
いろいろな治療を続けたところ、脳機能が劇的に回復し、
7月から少しずつ働けるようになりました。
K君の実家は北海道ですが、
大阪で部屋を借りることができ、やっと自分の住所が得られました。
本当に奇跡的な回復だと思っています!
両親は号泣でした。
働けていることを報告するたび、本当に喜んでくれます。
同じような状況にある方の力に少しでもなれれば、というK君たっての希望もあり、
彼のケースをここに紹介します。
「転倒や交通事故などで頭部を打撲して以来、原因不明の機能低下から抜け出せないでいる」
という方には参考になるかも知れません。
K君はNASAで開発されたセンサー機器を使った根本治療、水素生成器による水素治療(水素風呂、水素足湯)、「氣」に注目して身体の感受性を高める内観共振法などさまざまなことを試していましたが、その中で決定的だったのが《バイタルリアクトセラピー》でした。まだまだ体調に波はあるものの
毎日、身支度して外出することも困難だった状態から、
現在、週4〜5回の仕事を続けることができています。
というところまで回復したそうです。
以下にK君からのメッセージをまとめました。
―――――――
バイタルリアクトセラピーは、機器を利用して脳に行うセラピーですが、
ある日の治療中、フラッシュバックのようにひとつの記憶がよみがえりました。
それは14歳、中学の部活でバドミントンをしていた時、顧問から体罰を受けたことでした。
ラケットのグリップ部分で右の前頭部を殴られたのです。
それが原因となって脳内の血流のバランスが崩れてしまったと想像されます。
今井さんはパンチドランカーという概念をご存知でしょうか?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パンチドランカー
ボクサーが試合中に殴られたことを覚えていないように、
私も顧問にラケットで強打されたにもかかわらず、
脳が受けた衝撃によって、殴られたことさえ記憶にありませんでした。
しかしその殴打によって頭蓋骨、脳および頚椎がダメージを受け、骨格が歪みました。
歪んだ骨格に神経や血流が圧迫され、実際に発症する20歳8ヶ月まで、
約6年かけてジワジワと脳神経の伝達機能が低下し、脳血流量も低下し、
最終的に脳機能そのものに障害が生じたことが明らかになりました。
私が負っていたのは、外傷による脳機能障害だったのです。
バイタルリアクトセラピーによって骨格の歪みで圧迫されていた神経と血流が解放され、
当時の記憶を取り戻すことができたのだと思っています。
その上で活性酸素を除去する水素入浴と、氣の巡りをよくする内観共振法によって
血流をほぼ正常に維持することができるようになり、ようやくここまで回復できました。
このセラピーに関しては、こんな本が出版されています。
山崎雅文『確かな結果が出せるバイタルリアクトセラピー つらい痛み・病気の改善』(現代書林、2010年)
今までたくさんの医師が私の病気に関わってくれました。
しかし、それらは前向きの「治療」ではありませんでした。
目に見える症状を頼りに病名を捜しても見つからず、安直に精神疾患として分類したり、
◯◯難病、◯◯症候群という病名をつけて終わっていたのです。
同じような状況に苦しんでる方が、世の中には少なからずおられると思います。
私にとってはバイタルリアクトセラピーによる治療が限りなく有効でした。
このセラピーを試してみたい方からのご要望があれば、
私の体験をもっと詳しくお伝えし、少しでも力になることができればと思います。
今井さんのオフィシャルサイト経由でご連絡ください。
脳機能障害に限らず、骨格の歪みに由来する弊害は思わぬところに生じます。
「自分には関係ない」とやり過ごしてしまわず、どなたにも経験していただきたいです。
かく言う私でさえ、当初は「自分には無関係の治療法だ」と思っていたぐらいですから…。
―――――――
微力ながら私もお手伝いできればと思います。
ご連絡くださればK君へ転送します。
おなじセラピーでも、施術者によっていろいろ差があるらしいですよ。
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わが家に年代物のピアノがあることは、前回のブログ
で触れた通りですが、その素性をご紹介しましょう。
この写真は5月のブログにも掲載しました。
ヨハン・バプティスト・シュトライヒャーというウィーンのピアノ製造者が
1843年に作製した楽器です。
シュトライヒャーという人名が、そのままメーカー名として使われています。
日本の会社でもそんな例がよくありますね。
細部まで手作りです。
シュトライヒャー家は代々ピアノの製造にかかわってきました。
ヨハン・バプティストの母親ナネッテもピアノを弾き、作り、
ベートーヴェンの良き擁護者でもありました。
ナネッテの父親、ヨハン・アンドレアス・シュタインが作ったピアノは
あのモーツァルトも絶賛した、優れた楽器でした。
ナネッテはヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーと結婚したことで、
名字が変わったのです。
ナネッテの夫はもともと音楽の先生でしたが、
先生稼業をあきらめて会社経営に邁進しました。
息子のヨハン・バプティストも共同経営者となり、
会社は全盛期を迎えたのでした。
そんな頃に完成した楽器です。
ウィーンのピアノ製造の伝統はこの後ベーゼンドルファーへと受け継がれ、現在に至ります。
ですから、シュトライヒャーの歴史はピアノ発展の歴史そのものとも言えるでしょう。
モーツァルト時代のピアノはまだ繊細で、音量も今ひとつでした。
それがみるみる変化し、音域も広く、音量もパワフルな楽器となりました。
その背景には、ピアノの心臓部であるアクション構造の大転換があったのです。
モーツァルト時代のピアノには「ウィーン式アクション」というものが使われていました。
シュトライヒャー製のピアノにも当初はこのアクションが使われていたのですが、
後になって「イギリス式アクション」という新型モデルに移行しました。
現在調整中。
拙宅の楽器に装備されているのは、イギリス式アクションです。
ただここに、私自身のオーナーとしてのジレンマがあるのです。
人は古いものに、より大きな価値を感じます。
それはそれでよくわかります。
電気機関車より蒸気機関車、CDプレイヤーより蓄音機。
だからピアノも、より古いウィーン式アクションのものばかりが寵愛されて
イギリス式アクション、それも初期のものは
ふ〜ん…
で終わってしまうことがほとんどです。
残念だなあ…。もっと感激してほしいなあ!
イギリス式のアクションです。どこが? って感じでしょうか…。
でも考えてみてください。
ものが変化していく背景には、
それが必要だった
その方が有利だった
という要因が必ず隠されていると思うのです。
シュトライヒャーも、イギリス式アクションの方が優れていると信じたからこそ、
それまでの伝統とは違う設計の楽器を作り始めたのでしょう。
そして、それは正しい判断でした。
現代のグランドピアノでは、例外なくイギリス式アクションが使われているのですから。
わが家のシュトライヒャーを弾いていると
ああ、世のピアノがイギリス式アクションに移行していったのは
当然のなりゆきだったのだな
と感じます。
コントロールしやすいし、音量も、音質も安定しています。
ハンマーヘッドは革で作られています。
1843年といえばシューマンやショパンの時代です。
ブラームスやリストも同じです。
試しにシューマンの曲を弾いてみました。
1833年〜38年に作曲されたというソナタ第2番(ト短調)の第2楽章です。
→真夏に自撮りしたもので、頭がサマーカットです。びっくりしないで下さい。
クリックして下さい!
そんなわけで、この時代のこの様式のピアノには、逆に希少価値があるのかも知れません。
コレクターに興味を持たれなかったため、オリジナル楽器そのものもあまり残っていません。
楽器の特性に関する情報も、とても潤沢とは言えません。
そのうちお披露目の会でもやろうかな、と考えているところです。
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「ピアノの詩人」として愛されている作曲家、
フレデリック・ショパンの命日である10月17日の前後3週間を使って、
ショパンの故郷ポーランドの首都ワルシャワでは5年に一度、
フレデリック・ショパン国際ピアノコンペティション
が開催されます。
前回(第17回)は2015年でした。
第1位の栄冠に輝いたのは韓国のチョ・ソンジン。
すでにドイチェ・グラモフォンからCDデビュー!(画像、お借りしました)
日本人も健闘したものの、残念ながら入賞には届きませんでした。
ショパンのデスマスクと左手のブロンズ。繊細な指です。死因は肺結核と言われています。
膵嚢胞線維症(嚢胞性線維症)という新説もありますが…。
このコンペでの入賞にはものすごい価値があります。
他にもいくつか同じようなレベルの国際コンペが存在しますが、
ショパンコンペも最高峰のコンペティションのひとつなのは確実です。
ここで1位になったら
プロのピアニストとして国際的な活動が保証された
と思って間違いありません。
このコンペティションで使われる楽器は、もちろん現代の楽器です。
表だっては報道されませんが、ピアノメーカーにとっては
わが社の楽器を使ってもらえるか
という「陰のコンペティション」でもあるのです。
そんな中、まったく新しいコンセプトのショパンコンペティションが
ワルシャワで立ち上げられることになりました。いわく
ピリオド楽器による国際ショパンコンペティション
第1回目の開催です。
「ピリオド楽器」とは、いわゆる「古楽器」のことです。
「古楽器」と表現すると骨董品っぽい感じを持たれてしまうため、
「時代」をあらわす「ピリオド」という単語の使用が一般的になりました。
「ヒストリカル・ピアノ」という言い方もOKです。
ショパン時代の楽器を演奏して行われるコンペティション、というわけ。
ショパンが耳にしていたのと同じ音で勝負するのです。
詳細は以下を参照してください。残念ながらまだ日本語版はありませんが、
そのうち親切な誰かが準備してくれるでしょう。
このバナー(↓)をクリックしてください。
ざっと概要だけ列記しておきます。
・開催されるのは2018年9月2日〜14日
・申込期限:2018年5月1日
・年齢制限:18〜35歳
・1位の賞金:1万5千ユーロ
2位以下の賞金の額やレパートリー、審査員などに関しては
ウェブサイトを解読してください。そんなに難解な英語ではありません。
ページの左側に各項目へのナビゲーションリンクが準備されています。
申し込みに当たってはピリオド楽器での演奏動画が必要になります。
その際に指定されている楽器は
1860年までのエラールまたはプレイエルのピアノ
またはショパン存命中(1810年〜1849年)のウィーン式ピアノ(コピー楽器も可)
というのですが、何と、拙宅のウィーン製シュトライヒャーは1843年製なのです。
「ショパン存命中」という条件に合致します。
ただ、アクションがイギリス式なので、そこが問題。
拙宅のピアノです。
日本国内に演奏可能な楽器がそうたくさんあるとは思えず、
拙宅の楽器でデモ動画を収録した場合もエントリー可能かどうか
コンペティション事務局に問い合わせることになりました。
さて、どうなるか。
わが家のシュトライヒャーの詳細については、次回くわしく紹介することにいたしましょう。
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不順な天候が続いています。
お変わりありませんか?
私の体調、とりあえずはOKです!
先日行った人間ドックでも、数値の上では一点のかげりもなし。
肝機能や中性脂肪の欄に1個も星印がついてない、というこの快挙!
ただ…このところ…「意欲」「やる気」のパワーが少々不足気味かも…。
「やる気スイッチ」にうまく手が届きません。
実はこの春、3月8日のリサイタル以来、何となくぼんやりしているのです。
あの日、あの夜に燃え尽きちゃった感じ。
そう、花火は打ち上がったのですがね…
あの晩は確かに精一杯頑張って、それなりの手ごたえがありました。
いつもだとこうしたリサイタルが終わっても、しばらくすると
さあ、次は何を弾こうかな
こんな曲が弾きたいな
コンセプトはどうしよう
といった意欲が湧いてくるのですが、
今回に限ってはそれがほぼゼロ。
もう半年もたったのに…。
今までと様子が違うので、とまどっています。
大学での仕事は普通にこなしてますし、
いつもと変わらず日本各地に出かけて教えたり、講座を担当したり、
単発のミニコンサートなどもこなしているものの、
今度はこれにチャレンジするんだ!
という勢いがわいてきません。
3月8日の充実を越え、自分を極限まで追い込める企画を立てるのは
そう簡単ではないと思うものの…、ふ〜(←ため息)
演奏家として身をひくべき日が近づいてきたのかなあ(ボソッ)
ほら、アスリートたちが引退するときも、
モチベーションを維持できなくなった
という理由が多いじゃないですか。
え〜い、こんな時にはあらがっても無駄!
というわけで、この夏休みは無理せず、ぬお〜ん、ゴロゴロと過ごしました。
でも、無為・怠惰に過ごしたわけではありません!
自分の仕事部屋の整理をしました。
まずはクローゼットの整理から。
本棚の書籍を整理し、積み上がっていた資料を分類してデータ化し、
文房具類を整頓し、断捨離もしました。
参考書、だいぶ減らしました。ここには写っていませんが、もう一面の壁も本棚です。
ずっと気になっていた「いつかやらなくちゃ」を見える化し、
無心に遂行していきました。
どんな些細なことも、すべて書き出すのがコツで、
「鉛筆を削る」「靴を磨く」「爪を切る」みたいなことも含めます。
それをひとつずつ付箋に書き、見えるところに貼り、完了したら捨てるのです。
「できるものから片付けてしまう」が鉄則。
パソコンモニターの右端に貼ってあるのがその付箋。
急がない原稿も「今のうちに」と書いてしまいました。
中でも秋口に大学に提出する紀要論文を8月中に仕上げてしまったのは、大正解!
そうしないと、学期はじめの落ち着かない時期に締め切りに追われることになりますからね。
部屋の中がすっきりし、やる気がでてきそうな感じです。
自分の仕事部屋、初公開。パソコンにはモニターを2台つなげてます。便利ですよ。
これでもかなりすっきりしたのですが、まだまだ物が多いですねえ。机の上が狭い!
しかし、ここで困ったことが…。
整理分類をやりすぎて、
あれをどこにしまったか?
がわからなくなってしまう事態が頻発しています。
絶対にあるはずのものが見つからなくて
うろうろ探し回る情けなさ…。
きっと誰にも経験があるでしょう。
下手に整理するとかえって非効率になる、というのはせつないですね。
でも、気分はすっきり。そこが大切。気持ちいいです。
やる気が出てくるための環境は整った、というわけ。
それを目ざし、ある程度は実現できた夏休みでした!
あ〜、はやく冬休みにならんかなあ…。
春休みも待ち遠しいなあ…。
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わが家にワンコが3匹いることに気づいておられる方も多いでしょう。
このブログにもときおり登場しますし、
私のつれあい、カヤニカままのブログは「ワンコのブログ」としてもファンに愛されています。
私のオフィシャルサイトにあるカヤニカまま発案の「ワンコのごはんレシピ」もなかなかのもの。
3匹の名前は
カーヤ(通称カヤ)♂
オニカ(通称ニカ)♀
小太郎(通称コタ)♂
コタはニカの実の息子です。
カーヤは血つながりの父親ではありませんが、育ての親。
子供好きなパパと、大雑把な性格のママに育てられた小太郎は
いつもやりたい放題、天真爛漫なよい子です。
10年前、生まれたばかりの小太郎をあやすカーヤ
いわゆる「多頭飼い」はこのワンコたちではじめて経験しましたが、
それぞれの性格が違うのを見ていると、とってもおもしろいです。
たまにおもちゃの取り合いで喧嘩になりますが、基本的にはみ〜んな、仲良し。
ふだんは、最初にわが家に来た年長犬のカーヤが群れを仕切っています。
若い頃はニカがにらみをきかせていましたが、今となっては体力・気力ともに不足気味。
コタは神出鬼没でかなりの運動量。腰が軽いです。
ところで、わが家のワンコ、ミニチュア・ピンシャーのように見えますよね。
でも、違います(キッパリ)。
《プラシュスキー・クリサジーク》というチェコ産の希少犬なのです。
超小型犬で、うちのは3頭合わせても体重5キロぐらい。
3匹まとめて抱けます
犬種名を日本語に訳すと《プラハのねずみ獲り犬》となります。
1998年に初めて最初の2頭が日本に来ました。
詳しいことはこちらのサイトに掲載されています。
ペットショップでは売っていませんし、日本にいる頭数もおそらくまだ3桁。
ふふふふ〜、そのうちの3頭がわが家にいる、ってすごいことなんだなあ!
岐阜で生まれたカーヤがわが家に来たのは、2004年のことでした。
翌年ニカが家族に加わり、3年後にはコタが生まれました。
そしてみな、今では10歳を越えたシニア犬になりました。
一番若いコタでさえ、人間の年齢に換算すると私と同じぐらい。
みな見た目は元気そうですが、やはり若い頃とは違います。
これからが大変になるのかなあ(ボソッ)…。
ところで、わが家の人と犬とのパワーバランスは以下の通り。
カヤニカまま
(ゆるぎなき定位置:トップの座)
カヤ ニカ コタ
(状況によって順不同)
かやにかパパ
(ゆるぎなき最下位)
カヤニカままがワンコに接する時の誠実さと愛情は正真正銘のホンモノで、
ワンコたちもこれは感じています。
だからいつでも「ママ命」は当たり前で、ママを見あげる時は目の輝きが違います。
それは受け入れるとしても、私はイヌ以下か〜!?
残念ながら、そうなのです。
これはもうくつがえらないと思われます。
ワンコたちがまだ起きているときに私が仕事から帰ってくると
ワンワン、ワワ〜〜ン
と「お前、何者だっ、何しに来たんだっ!」とばかりに吠えられます。
普通だと「パパ、お帰り〜」と喜んでくれるはずなのですがねえ…。
ワンコたちがすでに寝てから私が帰宅すると
3匹ともそれぞれのケージの中で微動だにせず、完璧に気配を消します。
やっぱり「パパ、お帰り〜」は、なし。
毛布越しに「いないんや。ほっといてんか」というオーラが感じられます。
夫婦で言い争いをするとたいへんです。
カヤニカコタはママの味方ですからね。
すっごい吠え方…。私は孤立奮闘、為すすべがありません。
ママに手をかける真似をすると、
コタが捨て身でむしゃぶりついて噛もうとします。
「ママにさわるなっ、いじめるなっ」というのでしょうね。
でも、敵対しているのではありませんよ。
就寝時に人間の布団に入れることは厳禁にしていますが、
お昼寝は特別です。ほら、仲いいでしょ?
それとも、私は単なるマットレスがわりか?
胸の上がカーヤ、腕枕のニカ、正座のコタ
カヤニカコタはお散歩が嫌いです。
銀座のホコ天でまわりの人に「かわいぃ〜」と言ってもらえるような散歩は好きですが、
近所の雑踏を歩くのは大っ嫌い。自転車とかアブナイですしね。
トイレはすべて家の中で完結するように躾けました。
みな所定の場所で用を済ませてくれます。小さいから量も限られています。
これって、とても楽です。外出していても
「ああ、みんな今頃オシッコ我慢してるんだろうなあ」
って心配しなくても良いですからね。
散歩しないかわり、朝はリビングでボール投げ遊びをして運動します。
家の中での運動だから、3匹とも足の肉球はふわつる。
さわると気持ちええ〜。
ニカのプクプク肉球。やわらかいです!
カーヤは一番落ち着いたまとめ役。世渡りがうまいです。
ルックスもピカイチ。ポーズもとれるしカメラ目線が得意です。
だから、外出時はいつも一番人気なのだ。
年長犬のカーヤ
ニカはビビリさん。でも気は強いです。
クルックルックルッとハイスピードで回り続ける喜びのダンスが絶品。
胃の弱いのがかわいそうですが、腸は絶好調。
下痢・軟便とも生まれてこのかたほとんど経験してません。
ワタクチ、オニカでございます
コタは比類無き舐め上手。手などをやさしく一心不乱に舐めてくれます。
3匹の中では一番感情表現が豊かで、辞書には「遠慮」という言葉がありません。
ウンチした後に「紙でお尻ふいてくだちゃい」と遠慮がちにアピールするのが
とてつもなくかわゆいです!
小太郎も手のひらに座れます。 お尻ふいて〜、のポーズ
犬自慢、始めたら切りがありませんね。
どの飼い主も「うちの犬が一番かわいい」と思っているはず。
わが家もそうです。
これからもずっと元気に幸せを分けて欲しいです!
この子たちがいるうちは、夫婦揃っての海外旅行は無理そうです。
そんなわけで、いつも車で国内のお出かけを楽しんでいます。
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かやにかパパからカヤニカままにプレゼントを渡しました!
「清水の舞台」級の逸品です。
わが家において、カヤニカままの存在は何よりも輝いています。
ワンコたちも私も頼りきり、ごっつうお世話になっているのであります!
そんなカヤニカままを、ぜひ何とかねぎらいたい、と思ったのがきっかけです。
「これで決まり!」のアイテムは ワイングラス。
実は、私も欲しかったグラスなのですが、
カヤニカままを差しおいて自分用だけを買うわけにはいかないので、
「カヤニカまま用のついでに自分のもお付き合いで」
というアレンジと相成りました〜。
いやはや…
こっそりとお相伴…
カヤニカままはコンスタントにワインを楽しんでいます。
白も、赤も、大好きなのは辛口のワイン。量はごく控えめです。
便乗して飲む私はそれを補って余りあり、
わが家の月間酒量はかなりのものに…(汗)
ブルゴーニュだ、シャブリだ、ボルドーだ〜、と毎晩コルクをあけるのは無理なので、
いろいろ工夫をしています!
ゲットしたのはウィーンの老舗、ロープマイヤー(日本式にはロブマイヤー)のグラスです。
ポイントは「ケース付き」というところ。名づけて、
ロブマイヤー・トラベラー
これだ、これで〜す!
旅行はもちろん、レストランにも持参して、
常にマイグラスでワインを楽しむためのものなのです。
じゃーん!
高級レストランでは、テーブルにスッとグラスを置いただけで
事情通のシェフは
お、おぬし、できるな
と思ってくれるかも、という逸品です。
グラスを見過ごしてしまうようなレストランは、
「再訪する価値なし」にランクしてよいとのこと。
国際線の空路では、たとえエコノミークラスに座していても、
わけ知りのアテンダントにめぐりあえば、
ファーストクラスで振る舞っているワインをおすそ分けしてくれる場合があるらしい。
う、うつくしい… 芸術品ですね。ハンドメイドですよ!(画像、お借りしました)
これらは、このグラスをこよなく愛用しているN氏より得た情報なのですが、
N氏のご紹介で、素敵なケースをデザインした空間構造の近藤ゑみ子デザイナーから
直接この製品を購入させていただく事ができたのは、望外の喜びでした!
ケース用の専用ポーチをつけていただきました。今ではもう手に入らないとのこと。
さて、このグラスを入手してから、いろいろ知識が増えました。
ロープマイヤーのグラスはすごく薄くて、信じられないほど軽いです。
クリスタルなのに、まるでプラスティック製のグラスみたい…。
それもそのはず、鉛を含ませることによって重量感と透明度が与えられる通常のクリスタル(レッドクリスタル)ではない鉛なしの「カリクリスタル」という素材が使用され、職人が1個ずつ口で吹いて作るのです。
だから、同じモデルでも微妙に形状が異なったりするらしい。
「薄い」ということは、グラスを唇に当てたときのフィーリングがまったく違います。
有名どころのリーデル社のグラスより(拙宅の備品はHOYAクリスタルですが…)、
ずっとずっと繊細で、グラスの存在が無に近くなります!
どのぐらい違うか、ということを表現するのは難しいのですが、
ミルクコーヒーを飲むマグカップと結婚披露宴のパーティで出てくるワイングラスとの差ぐらい、
レッドクリスタルのグラスとロープマイヤーのカリクリスタル製グラスは違う!
と言えば想像していただけるかな…。
ほんと、そのぐらい違うのです。
で、薄いけれども固くて丈夫。
そりゃ、落としたら割れるでしょうけれど…。
これがウィーンのケルントナー通りにある本店です。
「バレリーナ」というシリーズのグラスなのですが、グラスの台座が大きめなので、
とても安定が良いです。
またグラスの形状も絶妙で、どんなワインもさらに美味しく感じるばかりか、
このグラスで缶ビールを飲むと、
お〜 と声が出るぐらい旨い
とは、上述N氏からの追加情報です。
試してみたらホンマでした〜。すごかった。
泡立ちも美しく、缶ビールにも「香り」があったことに気づかされました。
今までは「喉ごし」と「味覚」だけで評価していたので…。
実は購入の決断をする前にN氏のグラスを
大阪で行きつけの某所で試用させていただいたのですが、
ワインがおいしかったことは当然ながら、
日本酒(冷酒)も飲み比べてみたところ、和風の器で飲む時と違って
味と香りの腰がすっと立ち上がって輪郭がはっきりしたような印象を感じました。
ワインの場合は風味がマイルドに落ち着くように感じられたのとは逆だったのが興味深い。
さてさて、このグラスをレストランに持ち込む勇気を培わなければなりませんなあ。
まだ、ちょっと恥ずかしいかも…。
あ、還暦越えのオッサンが心配することではないか。
まずは毎晩、普段使いのグラスとして愛用するところからスタートします!
食器も楽器も「使ってなんぼ」というところでは、同じですね!
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2月22日のブログでぶちかました
には、すぐさま反応がありました。
しかし、値段もそれなりの案件だったので「即日即決」とはならず、
お問い合わせいただいた順番を尊重しながら、いくつかの交渉を経た末に…
決まりました! ヽ(´ー`)ノ
京都に嫁入り(婿入り?)することになったのです。
場所は京都御所のすぐ近く。近隣に相国寺(しょうこくじ)もあります。
御所への門の一つ。歴史を感じます。
有名な「鳴き龍」が天井に書かれている相国寺。
鴨川もすぐ近くを流れているので、散策に最適です。
このピアノを受け入れるために新しくスタジオが新設される運びとなり、
大切に使っていただけることになりました。
新しいスタジオのエントランスはこちら。
スタジオの名は
私も時々会いにいけるので、嬉しいです。
晴れてニューオーナーが決まるまでの顚末はこちらをご覧下さい。
スタジオの名称に関しても、こんなストーリーがあったそうです。
そして、すでに商標登録の出願も完了したとのこと!
ただし登録完了までは半年ぐらいかかるらしいです…。
くだんの楽器は5月28日に搬入され、翌29日の午前中に搬入調律完了。
今までこのピアノのお守り役だった名調律師の照沼氏がたまたま関西出張中だったので
新しい環境に合わせた調律と最終調整をお願いし、
万全の状態で楽器を引き渡すことができました。
新しいオーナーの坂田さんと
私もたまたま28日まで関西で仕事だったので、立ち会いました。
楽器の特性や、今まで施された修理の詳細も、きちんと次の調律師に伝えてあります。
これからたくさんの方々に愛され、新しい歴史を刻んでくれることと思います。
搬入当日の様子は坂田さんのブログをご覧下さい。
拙宅のスタジオで今までスタインウェイが占めていた場所には、
カヤニカまま所有のベーゼンドルファーが鎮座しています。
左側のピアノがベーゼンドルファーです。古いモデルなので2本ペダル。
製品番号がわからないのではっきりしたことは不明ですが、およそ1900年頃に製造された楽器らしい。
日本はまだ明治時代ですね。古き良き時代の、耳にやわらかく、心癒される響きがします。
ちょっと弾きにくいけれど、気持ちいいですよ。
さてさて、カヤニカぱぱ家のピアノの断捨離はこれで終わりではありません。
次は1843年にウィーンで作られた「J.B.シュトライヒャー」というフォルテピアノがまな板の上にのります。
本物ですよ。レプリカではありません。
1843年です。1943年ではありません。ブラームスの時代です。
ほら!
これに関してはまた改めて!
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3月というと、巷は春休み。
しかしご存じの通り、かやにかパパは家族の迷惑を顧みずリサイタルを強行したので、
あわただしく時間が過ぎていきました。
事後も
終わった!
だけで済むはずもなく、
後始末に追われました。
この勢いで新年度、新学期に突入したのではあまりにも悲惨、ということで
3月も末になってから、いつものようにワンコも引き連れて
富士山の麓のリゾートに骨休めに行きました。
河口湖の近くです。
富士山って、やっぱり美しい!
冬タイヤは持っているのですが、減ってしまって
夏タイヤ以下のグリップしか期待できないとのこと。
で、このシーズンはノーマルタイヤのまま運転していました。
春だから、もういいだろう
と、たかをくくってそのまま出発したところ、
まさかの大雪…。
朝起きたら、リゾートホテルの窓から見える景色はこんなになってました。
外回りの観光をする予定はほとんどなかったので構わない、とは言うものの、
ちょっと焦りました。
だって、食料品の買い出しはやらないと…。
そうこうしているうちにちょっと暖かくなったので、
本栖湖見物だけは決行しました。
本栖湖、って富士五湖の中ではマイナーな存在ですが、
千円札に印刷されている富士山が見えるところなのです。
本栖湖@千円札
行ってみたら、まさに、それ。
ふ〜ん、へ〜
と感激してしまいました。
でしょ? 冠雪の量もほぼ同じです。
湖のまわりには自然が多く、なかなか良い雰囲気でしたよ。
その道すがら、
黒のリクルートスーツに身を固めてひたすら歩き続ける若者が目につきました。
みな二人ずつのペアになっています。
男二人もあり、また男女のペアもあり。
「御殿場方面」と書いた紙を車道に向かって掲げているペアも。
素直に理解すれば
ヒッチハイク
ですね。
しかし、富士の麓でのヒッチハイクとリクルートスーツ姿はマッチしません。
それでも
乗せてってやるか
と仏心を出して、とある男女のペアを乗せてあげました。
男二人よりはむさ苦しくないかも、と、ちょっとえり好みした結果です。
そのように「選べる」ほど、ペアの若者はうじゃうじゃと出没していたのです。
本栖湖から御殿場まで乗せていくのは無理でも、
宿泊している河口湖はちょうどその中間地点。
河口湖、つまり富士吉田ぐらいまでなら何とかなります。
乗せてから
みんないったい、何してるの?
と聞いてみたところ
沼津にある某社の新人研修なのだそうです。
最終日の課題が
スマホと現金千円だけを持って、
本栖湖から御殿場まで自力で帰ってこい
というもの。予算は二人で計2千円です。
電車やバスはすごく不便。
距離は約50キロ。
歩けない道のりではありませんが、ちときつい。
コミュニケーション能力を最大限発揮して、ヒッチハイクで帰ってくること
というのが、研修の目的なのでした。
実はこの会社の新人研修は有名で、
NHKでもその様子が放映されたことがあるらしい。
で、結局富士吉田の「道の駅」まで連れていきました。
最後になって
お礼状を出すのも課題なので、名前と住所を教えてください
とのリクエスト。
めんどうだなあ…
という気持ちもチラと心をかすめたのですが、
若者の成長を期して
と思いなおして個人情報を渡しました。
後日、礼状が。
筆跡から察するに
う〜ん、これは女の子に書かせたな
と思われます。
字はきれい。気持ちいいですね。
でもね、いくら字がまずくても、添え書きぐらいはすべきだなあ。
それと、便箋が1枚で終わっちゃったときには、白紙の便箋を1枚添えるのがいいんだよね。
そんなこと、こんなこと、を教えてあげるべきかな、返事を書いた方がいいのかな…
などと思いあぐねているうちに、日が経ってしまいました。
めんどう。
やめておこう。
今さら、だもんね。
と、いう思いとともに
貴重な休日は過去の思い出となったのでした〜。
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3月8日水曜日夜7時。
約2年ぶりの自主企画のリサイタルでした。
私の大好きなシューベルトだけで勝負。
やはりシューベルトを話題にしたトークコーナーを挟んで、
2曲のピアノソナタを演奏しました。
開演直前の緊張に満ちた瞬間です。
本当は週末、できれば土曜午後のコンサートにしたかったのです。
私を支えて下さるファンの多くは、私同様もうあまりお若くありません。
コンサート終演後の時間帯は電車も混んでいて、おまけに酒臭く、
爽やかな雰囲気でないのはご存じの通りです。
午後のコンサートにすれば、終演後にお洒落な食事でも楽しんで、
その日を優雅に締めくくっていただけるかも、
というのが私の願いでもあるのです。
今回は残念ながら平日にしか、ホールがとれませんでした。
それも、よりによってカヤニカままの記念すべき誕生日に…。
せっかくの誕生日なのだから、私が心を込めて奏でる音楽で祝ったげる!
と水を向けても、鼻にもかけてくれません。
どこがめでたいんだ。きついだけじゃないか。
普通だったらこじゃれたレストランでご馳走してもらえたのに
あ〜あ〜、わたしゃとんだ貧乏くじをひいたね。
一生に一度の特別誕生日がこんな日と重なるなんて…。
…気持ちはとてもよくわかります。
ごめんなさい、のココロでいっぱいです。
できることは、ただひとつ。
ぜったいに失敗しないこと。
ぜったいにこけないこと。
今までで最高の演奏をめざすこと。
高いハードルです。
でも、自分のためにも、カヤニカままのためにも、
挑戦することにしました。
それが演奏家のつとめです。
リハーサル中。横縞のシャツでもヨコシマな心は排除!
自分が弾くんじゃないんだから、放っておけばいいじゃん
という安易な考えはカヤニカままの脳裏にはありません。
本来は私が抱えるべきストレスを、なぜか一手に引き受けてしまうのが
カヤニカままの“さが”であり、優しさなのです!
そうして選んだ2曲のソナタ。
休憩後のイ長調の大ソナタ(D959)は若い頃から暖めているレパートリーですが、
冒頭の変ホ長調ソナタ(D568)はこのコンサートのためにとりあげた新曲です。
本番の衣装でリハーサル中。
ピアニストというと旅ガラスのようなもので
色々な国、さまざまな街を渡り歩き、コンサートにあけくれる、
というイメージがありますよね。
私も若い頃はそんな
コンサートに追われる生活
を夢見たことがあります。
でも、実現しませんでした。
そこそこ「コンサートに追われていた」時期もありました。
その昔にヤマハの協力を得て、ピアニストの宿命である
毎回違う楽器で演奏しなければならない
という悩みを一気に霧散させてくれる
マイピアノと専属調律師をたずさえての大名コンサートツアー
を経験させてもらったこともあります。
1984年、その頃はまだ“共産圏”だったハンガリーでのツアーでした。でも
いつも同じ楽器だから、安心だ〜
という予測は、まったくの的はずれに終わりました。
この町から隣町へ、と陸路トラックで楽器を運ぶわけで、
湿度や温度、そして運搬の振動など、急激な環境の変化にさらされるピアノは
これが同じ楽器とは思えない
ぐらいコンディションが激変します。
ツアーでは1日おきぐらいのペースでコンサートが続きます。
すると、3〜4回目ぐらいからは妙に場慣れしてきて、
「ステージで演奏する」こと自体への恐怖感や緊張感は限りなく減少します。
逆に、
どうやって高揚感を盛りたてるか
ということが課題になるのです。
経験してみて初めてわかること、ってたくさんありますよね。
それに対して、今回私が企画したような「久々のリサイタル」では
「どうしてくれよう、助けてくれ〜」というぐらいの緊張感が生じます。
メンタルの勉強をするようになってから、ずっと楽にはなりましたが…。
でも、その緊張感を楽しむのも、演奏家の冥利である、と感じるのです。
この緊張のもとで自分にはどこまでできるのだろうか
というのも、大きなチャレンジです。
「この日」と定めた、変更不可の目標に向かって
考えられる限りの努力を惜しまず注ぎこんでいく
というプロセスも、これまた楽し。
毎日が充実します。
でも、これはカヤニカままには重圧以外の何ものでもありません。
自宅に受験生がいるのと似たような状況ですからね。
私がリサイタルをやると、かわいそうに、毎回身体をこわします。
おまえが弾くんじゃないから何も心配する必要ないじゃ〜ん
となだめても、もろもろの心配を一手に背負い込み、
あえいでしまうのがカヤニカまま。
食も細くなって、さらに痩せてしまいます。
現実として、カヤニカままのサポートなくては
私がいつもやっているようなコンサートの開催は不可能です。
郵便物の処理、チケットの管理、送り状への添え書き、当日会場での気配り、
頂戴した花束の世話やプレゼントの仕分け(どなたからかの整理→お礼状のために必要)、
そして、そして、そして…。
若いときは頑張れたけれど、今回を経験して、もう次回は無理だと思う…
という切実なつぶやきが聞こえてきました。
何か考えて、負担を軽減してあげなければ、次回は寝込んでしまうかも、です…。
そうして迎えた本番の日。
天候にも恵まれました。
とてもたくさんの方々にご来場いただきました。
ありがとうございます。
本番、無事終わりました!
演奏は、自分で言うのも何ですが
思ったより雑念少なく、自分の音楽を追えていたと思います。
とりわけ今回「こうしたい」と思っていた抑揚やリズムの表現も、
前回よりしっかりできたように感じています。
ご来場いただいたお客さまにも喜んでいただけて、
ほんとうに嬉しい思いをさせていただきました。
拍手を浴びていると、すごく、すごく幸せな気持ちになります。
あとは、少しでもカヤニカままの気力が戻るといいのですが…。
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