やっぱり嬉しい

  • 2015.12.20 Sunday
  • 08:56
 


今年の最大イベントだった「久しぶりのソロリサイタル」の記憶も、
そろそろ薄れつつあります。

ようやく先週になって(ということは事後ほぼ3ヶ月)、
演奏の録音もおそるおそる聴いてみる勇気が湧きました。

自分の演奏はともかく、会場を満たす温かい拍手の響きに癒されました。

あらためて、ありがとうございました。

コンサートの批評も音楽の月刊誌に出ました。
ひとつは『レコード芸術12月号』の「読者投書箱」に、とある読者が投稿してくださったもの、
そしてもう一つは『ムジカノーヴァ12月号』の「演奏会批評」のページに掲載された、
プロの批評家によるものです。


幸いなことに、双方ともに褒め言葉がいっぱい。嬉しいです!
とても嬉しかったので、さわりの部分を文末に転載しました。
お時間のある方はお読み下さいませ。



コンサートの批評が新聞や雑誌に出るのか、事前にはわかりません。
出ればラッキーですが、出ないこともあります。
だって、数え切れないほどのコンサートが連日開催されているのです。
すべての批評が公開されるのは、物理的に不可能。

「出ればラッキー」ではあるものの、それは誉めてもらえた場合です。
もし渋い内容だったら、すごく落ち込みます。
あからさまな表現で指摘されることはあまりありませんが、

「演奏に多少の荒さがうかがえた」
「すべてが完璧というわけではなかったが…」
「集中力に…」


みたいなフレーズは、読み慣れている人にはピンときます。
「やっちゃったんだね」というわけ。

そんな一喜一憂をもたらす批評ですが、たとえ

何でこんな事書くんだよ〜。
「オレの耳は節穴ではない」ってか?
そんな偉そうなこと言うなら、自分で弾いて見ろよー。


と憤りを感じるようなフレーズがあっても、しばらくたつと
「そう感じる人も世の中にはいるんだな」と受け入れられるようになります。
心の隅にひっかかったままでも、長い目で見ればそれが反省材料になり、
自分の成長につながります。


演奏会の批評の最高ランクは、主要日刊紙の紙面に出るものです。
朝日、日経、毎日、読売などで扱われるのは、すごいこと。
私はまだ経験していません。

若い頃は、コンサートの前になると大手新聞社の学芸部にチラシと招待状を持って
挨拶に行ったものです。その際、金品は不要です。
社の喫茶室でコーヒーをごちそうになりながら自分の近況やコンサートのあらましを話し、
「よろしくお願いします」と頭を下げて帰ってきます。


新聞では「見出しになるか」がポイント。
それゆえ、見出しに馴染みそうな内容でプログラムを構成したり、
見出しに使えそうなキャッチを意図的に口走ったり、いろいろ努力を重ねました。
「今井顕のピアノリサイタル」では何の変哲もありませんが、
作曲家の生誕何年、没後何年、あるいはチャリティーがらみだったりすると、
記事として紹介してもらえる可能性があります。
新聞紙面に掲載される記事は無料、かつ絶大な広告効果があるのです!

新聞の広告欄を買うこともできますが、これはすごく高価。
たとえば朝日新聞夕刊の下部にあるコンサート用広告欄は縦5センチぐらいですが、
1行およそ1万円。最低でも3行は必要なので(タイトル、場所と時間、チケット入手方法)、
ミニマムチャージは3万円。

でもこれでは目立ちません。きついです。

それはさておき、こうした「挨拶回り」、今はしていません。
そりゃそうですよね、私の方が記者より年上の場合がほとんどです。
それで「よろしくお願いします」というのは、どこか不自然ですからね。

音楽月刊誌は編集部の独断でコンサートをセレクトし、
そこに批評家を派遣しています。

評価対象として優先されるコンサートは「手打ちのコンサート」、
つまり今回の私のように自分で企画したもの、
あるいは各オーケストラの定期公演、
あとは有名どころの来日アーティスト(いわゆる外タレ)で、
スポンサー企業の冠つきコンサートなどは、よっぽどでないと扱われません。

出版社によっては「広告枠を買ってくれたアーティスト」を優先する雰囲気もあるようです(コンサート専用の広告ページが準備されています)。
長年おつきあいしていると「この雑誌には出るかも」と何となく察しがつくようになりますが、
どの批評家が批評を担当してくれるかまではわかりません。


出ようが、出まいが、なるべく気にしないようにしているのですが、
それでも気になるのが批評。
つまるところは赤の他人の勝手な評価なんですけれどね。
それも、グサッと来るのは自分だけ。
他の読者にとっては「ふ〜ん」で終わるものでしかありません。

ああ、「煩悩から解き放たれる」って、難しい…。


ところで、今回の成果へのとても嬉しい評価、以下に紹介させて下さい!
 

『ムジカノーヴァ』2015年12月号、音楽之友社、75頁
[…]ここ10年間の今井は、おもにアンサンブル・ピアニストとして活動してきたが、還暦を区切りに今回ソリストにカムバックしたという彼は、テクニックと気力の充実においても筆者の予想を上回る水準を示し、そのキャリアに恥じることのない演奏を楽しませてくれた。彼の演奏は、ウィーン的な情緒や雰囲気を豊かに漂わせている一方、そうした要素に安易に溺れることのない意志的な統制力も有しており、構成力のゆるぎなさにおいても見るべきものを示していた。モーツァルトの4曲は、熟考された楽曲の把握が目を惹く演奏であったが、それ以上に筆者に関心を抱かせた点は、そうした中にも生き生きとした愉悦感がふんだんに息づいており、それが彼の音楽を聴く歓びを与えてくれたことにある。シューベルトは、彼のウィーン的な感性や教養が強力な武器として作用した妙演であったが、《グラーツ幻想曲》は中でも特に傑出した内容であり、そこに示されたバランスの良い構成力と程よいウィーン的カラーの調和は、このピアニストの価値ある才能を如実に物語っていた。ソロの領域でも再度活躍してほしい逸材である。(柴田龍一)

『レコード芸術』2015年12月号、音楽之友社、262頁
[…]ところで一曲ずつの感想より、全体のそれを記してみたい。今井氏ほど師である、パウル・バドゥラ=スコダの影響を受けたピアニストはいない。彼が十八番としている、モーツァルトもシューベルトも、師が最も得意としていた曲である。また、その音色もよく似ている。ベーゼンドルファーを使用しているせいもあるが。E・フィッシャー、P・バドゥラ=スコダ、今井顕と、いまや彼は、世界でも数少ない、オーストリア音楽の伝統を受け継いだ正統派ピアニストと言えよう。彼らに共通しているのは、技巧よりも作品の中に流れる、慈しむような優雅さを大切に表現していることである。技術的に優れているピアニストはいくらでもいる。しかし、モーツァルトの豊かな感情、シューベルトのふくよかな表情を細部までていねいに弾きあげ、知性と感情のバランスが保たれたその表現力は、今井氏ならではのものであり、とくに、シューベルトに対しての深い思い入れが印象に残った。[…](青木蓮)



 

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